翻刻
【右丁】
殷(いんの)紂王(ちうわう)妲己(だつき)を寵愛(てうあい)し婬宴(いんゑん)
を楽(たのしみ)て政事(まつりこと)に荒(すさ)む其時
雲中子(うんちうし)と云 道士(だうし)分野(ぶんや)をみるに
妖気(ようき)あり怪(あやしみ)て照魔鏡(せうまきやう)に
向(むかひ)て是を見れば九(きう)尾(び)【左ルビ:を】
の老狐(ふるぎつね)帝宮(ていきう)にあり
雲仲子(うんちうし)の曰(いわく)吾(われ)此 邪魅(じやみ)を
除(のぞ)き国民(くにたみ)を救(すく)はんと
則(すなはち)山に入千 年(ねん)の枯木(こぼく)
を取(とり)て一つの剣(けん)を作(つく)り
紂王(ちうわう)に献(たてまつ)り今 妖気(ばけもの)宮殿(ごてん)に
蔵(かく)る此 宝剣(ほうけん)を帯(おび)給はゞおのづから
退(しりそ)き去(さる)べしと王(わう)喜(よろこん)で是を帯(おぶ)
妲己(だつき)が曰 妾(われ)本(もと)より深(ふかき)閨(ねや)に生長(そだち)
て剣戟(つるぎ)をみれば心 驚(おどろ)き病(やまひ)をなす
是は雲中子(うんちうしか)邪術(じやじゆつ)をもつて我(わ)か王(わう)を迷(まよ)
はすなりと王 則(すなはち)木剣(もくけん)を焼捨(やきすつる)夫(それ)より
悪行(あくぎやう)日々(ひゞ)に増(ま)し終(つい)に紂(ちう)王亡(ほろ)びける
【挿絵中の文字】
雲仲子(うんちうし)
【左丁】
太公望(たいこうばう)姓(しやう)は呂(りよ)名(な)は尚(しやう)と云(いふ)
よく天文(てんもん)地理(ちり)を明(あき)らめ
軍法(ぐんほふ)に達(たつ)し聡明(さうめい)叡智(ゑいち)
なれども時(とき)に遇(あわ)ず家(いゑ)極(きはめ)
て貧(まづ)し殷(いん)の紂王(ちうわう)が悪(あく)
行(ぎやう)無道(ぶたう)なるを避(さけ)て周(しう)の
文王(ぶんわう)の地(くに)へ徒(うつ)り磻溪(はんけい)と
云(いふ)所(ところ)に住(す)み釣(つり)を垂(たれ)て世(よ)を
渡(わた)り道(みち)を曲(まげ)て仕(つかふ)ることを
求(もと)めず不義(ふぎ)の富貴(ふうき)を願(ねが)
はず清貧(いさぎよき)を楽(たのし)む妻(つま)を馬氏(ばし)
と云(いふ)その貧苦(ひんく)に堪(たへ)かね離(り)
別(べつ)すべしと云 呂尚(りよしやう)の曰(いわく)我(わが)年(とし)
八十になるならば必(かなら)ず世(よ)に出(いて)
汝(なんぢ)等(ら)を安楽(あんらく)ならしめむ