翻刻
【右丁】
松山藩 石井喜太郎
うゑもせぬたねこそ身にはおひ
にけれおひすはわれもうゑまし
ものを
義郷
きみか手に
たねとり なく成に
そめし ける哉
えひす草
うゑぬひと 清臣
同藩 西村弥四郎
【左丁】
散花養生訓 【印=遠加文庫】
【印=木邨氏図書記】 松山 池内蓬輔 記
総論(そうわけ)
嘉永二年の夏/和蘭船(おらんだぶね)齎来(もちわたり)しより今に至(いた)つて七
年の間/各国(くに〳〵)行(おこなわ)るゝ種痘(うへほうそう)は牛痘(うしのほうそう)の苗(たね)にて/古(ふる)く行
ひ来りし人痘(はやりほうそう)とは苗の元素(おゝもと)大に異なり人痘の
苗にて種(うゆ)る法(ほう)数術(かづ〳〵)有りといへとも危嶮(あやうきこと)多きゆ
へ牛痘法/始(はじまり)しより絶(たへ)て行(おこの)ふ人なし此(この)牛痘法は
一人も命(いのち)を誤(あやま)らす麻面(じやぎ)畸醜(かたわもの)とならず古今(こゝん)の妙