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コレクション: コレクション2

散花養生訓 - 翻刻

散花養生訓 - ページ 4

ページ: 4

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【右丁】       松山藩 石井喜太郎 うゑもせぬたねこそ身にはおひ にけれおひすはわれもうゑまし             ものを               義郷 きみか手に    たねとり   なく成に    そめし    ける哉   えひす草      うゑぬひと  清臣       同藩 西村弥四郎 【左丁】 散花養生訓   【印=遠加文庫】 【印=木邨氏図書記】 松山   池内蓬輔 記   総論(そうわけ) 嘉永二年の夏/和蘭船(おらんだぶね)齎来(もちわたり)しより今に至(いた)つて七 年の間/各国(くに〳〵)行(おこなわ)るゝ種痘(うへほうそう)は牛痘(うしのほうそう)の苗(たね)にて/古(ふる)く行 ひ来りし人痘(はやりほうそう)とは苗の元素(おゝもと)大に異なり人痘の 苗にて種(うゆ)る法(ほう)数術(かづ〳〵)有りといへとも危嶮(あやうきこと)多きゆ へ牛痘法/始(はじまり)しより絶(たへ)て行(おこの)ふ人なし此(この)牛痘法は 一人も命(いのち)を誤(あやま)らす麻面(じやぎ)畸醜(かたわもの)とならず古今(こゝん)の妙