賀茂社関係文書翻刻プロジェクト

コレクション: 賀茂社記録

賀茂社記録. 第56冊 - 翻刻

賀茂社記録. 第56冊 - ページ 6

ページ: 6

翻刻

 正祝ニ依被願各相対之上直任也然ルヲ譜代職ト  被心得候而ハ相違之儀也其上権祝職闕之時申分    有之御奉行安藤駿河守殿ニ而次第転任ニ被仰  付事暦然也兎角転任申間敷ト有之訳ヲ書付  被指出候様ニ被仰遣可然之旨ニテ福顕被仰遣返  答ニ被得其意旨也 一日次被考処元禄十五年十月廿一日ノ時分ニ権祝闕  職之申分有之林重豊残ル七家中互ニ口上書  有之正祝ニ被補事寛文七年ニ亡父依懇望ト  七家中ノ書付ニ有元禄年中ニ公武ニ而御吟味之  上御奉行所安藤駿河守殿ニテ次第転任ニ可仕之旨  被仰渡委細元禄十五年十月廿一日ノ日次有之然共  御伝 奏被仰候ハ及御披露候旨被仰転任相滞  此時中山大納言御伝 奏也 一同十六年十二月御伝 奏平松中納言ニ而次第転  任可仕旨被仰渡一社ゟ祝重豊方へ其趣被仰入処一  社之可任指図返答ニ付権祝江致久転任以下次第転  任貴布祢々宜ニ重元新補之小折紙被指上其通ニ    勅許也貴布祢祝者未闕職也各評云重豊一代ハ    祝職懇望ニ而直任候ハヽ其通ニ而有間敷哉之旨也

現代語訳

(前頁より続き)正祝に願い出により、各々が相対(合意)の上で直任(直接任命)されたものである。しかるにそれを譜代の職と心得ているのは、相違(誤り)のことである。その上、権祝職が闕職(欠員)となった時に申し分(異議)があり、御奉行・安藤駿河守殿のもとで次第転任(順次転任)に仰せ付けられたことは歴然としている。とにかく転任申すまじいとある訳(理由)を書付にて指し出すよう仰せ遣わすのが然るべき旨にて、福顕が仰せ遣わしたところ、返答にはその意を得た旨であった。 一、日次(日記)を調べたところ、元禄十五年(1702)十月二十一日の時分に、権祝の闕職についての申し分があり、林重豊と残る七家中とが互いに口上書(口頭陳述書)を交わしたことがあった。正祝に補せられた事については、寛文七年(1667)に亡父の懇望によるとのことが七家中の書付に記されてある。元禄年中に公武(朝廷と幕府)にてご吟味の上、御奉行所・安藤駿河守殿にて次第転任に仕るべき旨を仰せ渡された。委細は元禄十五年十月二十一日の日次(日記)に記されている。しかしながら、御伝奏が仰せになったのは、御披露(上申)に及んだ旨を仰せになり、転任が滞った。この時の中山大納言が御伝奏であった。 一、同じく(元禄)十六年(1703)十二月、御伝奏・平松中納言により次第転任に仕るべき旨を仰せ渡された。一社(神社全体)から祝・重豊の方へその趣を仰せ入れたところ、一社の指図に任ずべしとの返答があった。これにより、権祝・江致久が転任し、以下次第転任が行われ、貴船神社の祢宜に重元が新補され、小折紙(簡単な申請書)が指し上げられ、その通りに勅許となった。貴船の祝については、いまだ闕職にはなっていない。各々の評議していうには、重豊は一代については祝職を懇望によって直任されたのであれば、その通りで(転任なしで)あってよいのではないかという旨であった。