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コレクション: STAGE5

風俗畫報臨時増刊第百九十七号 明治三十二年諸國災害圖會 - 翻刻

風俗畫報臨時増刊第百九十七号 明治三十二年諸國災害圖會 - ページ 11

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【右ページ上段】  蓬莱町美以協会 二十五人 (内男十三人女十二人)。  住吉町港座 四十人 (内男二十六人女十四人)。    合計人員四百七十五人 ▲罹災者の手当 罹災者(りさいしや)には握飯(にぎりめし)に沢庵梅干(たくわんうめぼし)等の副食物を給与 し。且つ病者等には牛乳(ぎふにふ)を与(あた)へるなと夫々の手当を為し。且つ病 者負傷者を収容(しうよう)したる避難(ひなん)所には。赤十字社医師出張し其療治 を為し居れり。以上六ケ所の避難(ひなん)所は何(いづ)れも小学校を以て之に 当てたる事なれば。其校に職を奉せる教師は何れも惣出にて徹 夜して市役所員を補助(ほぢよ)し女教師も男教師と同じく出校して。 握飯其他食物(にぎりめしそのたしよくもつ)の事抔を斡旋(あつせん)し居れるは如何にも殊勝(しゆせう)なることゞ もなり。 ▲施療 港務局医官(かうむきよくゐくわん)六角謙吉氏も中村に在る六角病院に於て又 東京赤坂病院長ドクトル ホイトニー氏は元居留地(もときよりうち)六十番に於 て何(いづ)れも負傷者及(ふしようしやおよ)び疾病患者(しつぺいくわんじや)に施療(せれう)する旨申出でたり。     ●火災余聞      ●停車場の雑沓 横浜停車場にては。大火の夜臨時汽車を東京に発し。消防具(せうぼうぐ)等 を取寄せんとの計画(けいくわく)なりしも。混雑(こんざつ)の為めに目的を達する能は ず。其中(そのうち)に下火(したび)の模様となりしを以て。其儘(そのまゝ)に打過ぎたりとい ふ。其翌朝は同場の繁忙甚(はんばうはなはだ)しく。京浜往復の汽車は更らなり。 東海道(とうかいだう)より来れる列車も見舞(みまひ)の人又は避暑地(ひしよち)より帰り来れる 者多きが為め。何(いづ)れも溢(あふ)るゝ程の乗客(じやうかく)あり。平常同場にて下 車する人員は。一日大抵六七千人位なるに十四日の如きは。一 万四五千人に達し。賃銭(ちんせん)に於て千五六百円の増加(ぞうか)を見たるよし 雑沓の模様(もやう)は。之にても其大略を知るに足るべく。殊に十四日 午後五時三十一分 国府津発上(こうふづはつのぼ)り列車が大船駅(おほふなえき)にて。横須賀より 【右ページ下段】 の上り乗客を併収し。横浜に着したるは。恰も東京品川辺より 同市に赴(おもむ)きたる人々が。此汽車にて。帰途に就かんものをと。同 停車場に詰掛(つめか)け居たる時なりしかば。左しもに広き同場も殆ん ど立錐の地なく。出札口(しゆつさつぐち)にては。止むなく。二等切符の発売を 停止したる程なりき。左れば。右汽車の着するを見るやプラツ トホームに立ち倦みたる無数(むすう)の乗客(じようかく)は。互(たがひ)に先を争ひて乗車 し中には列車の窓口より身を躍らして飛込みたる者さへあり。 同停車場にても。予て期したることなれば。直ちに二十四号の 一二 等(とう)ボギー客車一輌及び三等客車数輌を増したるも三等は忽 ち充満(じうまん)し。果は赤切符持ちたるものゝ一二等室に侵入(しんにふ)し来りた れば。車長は前記二十四号車の一等室より。切符改を始め乗客(じようかく) と論争(ろんさう)の真最中汽車は進行を開始し神奈川駅に着しぬ。車長は 同駅にて室を去りたるにぞ。夫れより後(のち)は車中殆んど秩序(ちつじよ)なく。 各駅にて。争論(さうろん)の起りたる等にて。同列車は三十五分を遅れ八 時四十六分漸く新橋駅に着したるよし。 又新橋停車場に就きて聞き得たる所を記さんに。大火の前日即 ち十一日には。乗客五千八百五十人降者五千七百三十四人なり しものが。十二日。即ち出火の日は乗者(じようしや)六千七百五十 人(にん)。降者(かうしや) 五千二百七十人に達し。尚ほ十三日即ち鎮火後第一日は。乗者 一万百八十三人降者(かうしや)九千百三十二人に上(のぼ)れりとなり。      ●横浜水道給水の不足     (挿画参看) 当夜(たうや)の出火をして。斯る大事(だいじ)に至(いた)らしめたるは。烈風(れつぷう)が第一の 原因には相違(さうゐ)なけれど。又二つには給水不足の為なり。殊に此 の十日間は。市内の給水僅(きふすゐわづ)かに八時間のみにて。出火(しゆつくわ)の際は。 恰(あたか)も断水の後なりければ。折角の消火栓(せうくわせん)も何等の功を現はさず 出火の後凡(のちおよ)そ二時間を経て初めて給水(きふすい)を得たりしが。其間(そのあひだ)に火 勢は縦横(じうわう)に燃広(もえひろ)がりて。容易に救ふべからざるに至りしなり。 【左ページ】 給水断続して 市民応態 なるの画