みんなで翻刻ver1

コレクション: STAGE5

風俗畫報臨時増刊第百九十七号 明治三十二年諸國災害圖會 - 翻刻

風俗畫報臨時増刊第百九十七号 明治三十二年諸國災害圖會 - ページ 33

ページ: 33

翻刻

【右上段】 養父郡 九  一五  一  八一  八二  三〇〇 朝来郡 一             六八   二   二三三 美方郡               五   一〇   六八 氷上郡 二  五         一四〇  七一   三四四 多紀郡 二  二          四             津名郡              一〇〇   一 三原郡               七五  一〇五  四五〇      赤穂郡被害取調表 町村  家屋              其他建物          全潰  半潰  破損  全潰  半潰  破損  死傷 雛牛 焼失 同上                                馬  家  建物 赤穂町 藍屋村 尾崎村 新濱村 阪越村 那波村 相生村 若狭野村 矢野村 高田村  上郡村 鞍居村 赤松村 船阪村 有年村 高雄村  合計      ●姫路市の被害 是日東南の暴風(ぼうふう)に雨亦加はり。八時前後に於て愈猛烈(いよ〳〵まうれつ)となり 市中は屋根瓦を飛ばすこと木(こ)の葉(は)の如く。藁葺の家屋は十中の 七八|迄大破(までたいは)し。全潰半潰の家屋約三十四五|戸(こ)。圧死者四名あり。 【右下段】 此大風(このたいふう)に当りて。同市大工町四番地硝子製造所石田方の煙突倒(えんとつたふ) れ発火せんとせしを。辛(から)うじて消し止むるを得たるは。姫路市(ひめじし)の 幸と謂ふべし。又同時刻頃福中村六番地正水某方の裏二階(うらにかい)より 出火(しゆつくわ)したるか。是亦近隣(これまたきんりん)の人々馳せ集りて。漸く鎮火せしめぬ。 姫路停車場の大屋根も亜鉛(トタン)を剥ぎ去られ。陸橋の屋根(やね)は何れへ か吹(ふ)き飛(と)ばされ。播但鉄道会社の客車庫の屋根(やね)も悉(こと〴〵)く剥き去 られたり。     ●姫路以西の被害 鉄道線路(てつだうせんろ)の沿村は其田面潮風に襲(おそ)はれし為め。早稲の穂凋萎せ るもあり。収穫(しうくわく)の上には多少の影響を及(およ)ほさん模様なるも。晩 稲にはさしたる被害(ひがい)を見ざるべし。網干(あほし)、有年(うね)、那波(なは)の各駅付 近に散在せる農家は。何れも屋根(やね)、庇(ひさし)、納屋其他(なやそのた)の建物も多く 害(がい)を被り。甚しきは柱倒(はしらたふ)れて恰も菅笠を伏せたる如く潰(つぶ)され。 其傍らより細き炊煙(すゐえん)の颺(のぼ)るなど。他所の見る目も憐(あは)れなり。更 に進(すゝ)んで相生、阪越、尾崎の各村に入れば。倒家累々(たふれやるい〳〵)として潰 家と相接し。路傍(ろぼう)に枕みて潰れたる家屋道途(かおくだうと)を塞ぎ藁葺、軒庇 の木片(ききれ)等打ち累り。此等の家族(かぞく)の辛うじて難を避けたるの状を 遺し。老媼(らうをう)の呆然(ぼうぜん)として屋根の上に寝(いね)たる。老翁の腰打屈めて何 やらん屋内(をくない)にて物を探せる幼児の面部(めんぶ)に傷して路頭(ろとう)に泣ける。 路傍に蚊帳を吊(つ)れるは寝るに家(いへ)なく。嬰児(みづこ)を抱て此に一夜を明 さんとての業(わざ)なるべき見るとして惨状(ざんじょう)を極めざるはなし。 ▲赤穂郡 赤穂(あかほ)郡の被害は最(もつと)も甚しく東西三百余戸の釜屋并び に付属納屋(ふぞくなや)は悉く潰倒若くは大破を被り。無事(ぶじ)なるものは殆ど 皆無(かいむ)の有様なり。同日は午後五時頃より天候険悪(てんこうけんあく)となり。七時 ニ十分覆盆(ふくぼん)の大雨に暴風を交え来(きた)りて西方へ向ひ駛行し。八時 ニ十分|頃(ころ)に至り屋根瓦(やねかはら)を飛ばし大木を倒し。家屋顚倒(かおくてんたう)せしもの 各町村に夥多(おびたゞ)しく。一時は歩行もなりがたかりき光景(ありさま)を呈した 【左上段】 る折柄(をりから)。阪越村に出火ありて六|戸全焼(こぜんせう)せり。風は同夜十一時頃 漸く歇(やみ)ぬ。同郡にて潰家百六十戸。付属建物(ふぞくたてもの)百八十九、破損 千百七十六戸、公立学校(こうりつがくかう)二校崩壊し、和船(わせん)三艘破壊、製造所一 箇所全壊、倒木七百|本余(ほんよ)、負傷者二人、死亡八人あり。中(なか)にも 赤穂町(あかほちやう)は最も惨状を呈し。崩壊家屋(ほうくわいかおく)四十余戸に及び。罹災者は 一|時寺院若(じじゐんもし)くは知人の許に立退き。或は僅(わづか)に残れる屋根の下に 雨露(うろ)を凌ぎ居るもあり。同地|隈水橋畔(くまみづけうはん)の赤穂高等小学校も崩壊 したるが。此際当直(このさいたうちよく)の訓導岩崎元一氏と云ふは必死となりて講 堂に入り。御真影(ごしんえい)を奉戴し辛うじて教員室に立退(たちの)き。暫時気絶 したりと云ふ。然れど之が為め御真影(ごしんえい)に事なきを得たるは。其 職責(しよくせき)を尽せるものと謂ふべし。其他付近の尾崎(をざき)、新浜(しんはま)、塩屋(しほや) より北部の各村落(そんらく)に至る迄。全郡幾ど損害(そんがい)を受けざる所なく。 上郡(かみこほり)、鞍位(くらゐ)村の如きは村役場より一時焚出(たきだし)を為し。又暴風雨中 出火ありて木津村(きつむら)六戸、船坂村十三戸、焼失(せいしつ)し焼死者三人あり 又|塩田(しほた)も高潮のため害を受けたる所あり。郡役所の取調に徴す れば即死三十人、負傷(ふしやう)四十人、死畜二十、家屋全潰(かおくぜんくわい)八百二十、 半潰(はんくわい)五百五十六、焼失二十二にして。其他大小破損家屋(そのただいせうはそんかおく)の如き は枚挙(まいきよ)に遑あらすといふ。 赤穂は塩を以て有名(いうめい)の地なるが。本年四月|組合認可(くみあいにんか)を受け。漸 く去月二十八日の夜 (暴風雨(ぼうふうゝ)の当夜)組合役員の選挙(せんきよ)を行ひた るに。忽ち塩田(えんでん)に害を被りたるこそ是非なけれ。塩田面積約(えんでんめんせきやく)四 百町歩、製塩釜屋(せいえんかまや)と称するもの約三百戸ありて。連日(れんじつ)の好天候 に乗(じやう)じて。其溜池に汲み込みたる鹹水(かんすい)の量は。約一釜に付二百 俵乃至三四百|俵(へう)を製造し得べき丈けの原料(げんれう)ありしに。暴風のた め釜屋(かまや)の屋根は悉く吹き飛ばされ。或は破(やぶ)られて雨水鹹水池に 浸入(しんにふ)せしかば。其損害の価額他の部落に比して頗(すこぶ)る巨大なるも のあらんか。其影響(そのえいきやう)は製塩従事の労働者(らうどうしや)に及び。延いて赤穂町 【左下段】 一般の損害となるべし。又当時赤穂郡役所にて救助米の焚出し を為せる箇所(かしよ)は。上郡村にて五百人、鞍居村(くらゐむら)に百三四十人なる も。他の町に於て罹災救助(りさいきじよ)の必要を促せるもの尠からざりとな り。而して赤穂全郡の被害表(ひがいへう)は前項に掲ぐる如し仮に赤穂全郡 の総戸数約(そうこすうやく)一万二千戸とし今回の被害戸(ひがいこすう)数四千四百余戸 (付属 建物其他を合せ)を控除(こうじよ)すれば。幾ど其半数は破潰若くは破損(はそん) したるものと知るを得べし。 ▲飾磨郡 高岡村の内今宿(うちいましゆく)にては。牛馬飼養業(ぎうばしやうげふ)山本某の牛部屋 壊倒し。四十余頭の生牛(せいぎう)は同時に悲鳴(ひめい)の声を放ち。索綱を切り て逃げ去りたるもの数頭と。即死二頭、重傷八頭ありき。此八 頭の牛は遂(つひ)に斃死(へいし)を免れざるへく。又飾磨村にても高浜(たかはま)の避病 院崩壊し。高砂町にても避病院(ひびやうゐん)二棟家屋十七戸、付属建物二十 五戸潰倒(こくわいたう)せり。 ▲明石郡 明石町付近にては風雨(ふうゝ)一時に東方より襲来(しうらい)し。海岸 一|帯(たい)の地に怒涛を打ちよせ。明石港の埠頭を越へて遊廓の辺を 浸し。石垣(いしがき)を破壊し。三抱にも余る程(ほど)の大松数本を吹折り。市 中にて家屋の。藁瓦(わらかはら)を飛ばし墻塀を吹き倒したるもの数知(かずし)れず また船阪村(ふなさかむら)の内字ジンナにて数戸の倒(たふれ)家あり其一戸に住せし家 族四人の中老人(うちらうじん)は負傷し。娘は難を避(さく)るに遑あらずして遂(つひ)に圧 死せり。此他同郡内(このたどうぐんない)に於ける倒家及破損の家屋は。二三十戸以 上もあらんか。又土山(またつちやま)、大久保及び其付近の諸村落(しよそんらく)ともに被害 多し。而して明石にて有名なる岩屋神社(いはやじんしや)の神木周囲一丈四尺の 老松(らうしやう)は石燈籠三基と共に吹倒され。舞子(まひこ)の松も甚しく荒され。 大に景趣(けいしゆ)を損したるは。吟界(ぎんかい)の遺憾(ゐかん)とこそいふべけれ。 ●宍粟郡 被害甚しく全潰約(ぜんくわいやく)四百戸、半潰二百戸、破損家屋無(はそんかおくむ) 数(すう)にて。死者十名、負傷者(ふしやうしや)十二名を出し。城下村。安師村、神 野村等最も惨状(さんじやう)を呈し。富栖村の富栖尋常小学校も崩壊した