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コレクション: STAGE5

風俗畫報臨時増刊第百九十七号 明治三十二年諸國災害圖會 - 翻刻

風俗畫報臨時増刊第百九十七号 明治三十二年諸國災害圖會 - ページ 37

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(右上段)とゝて。上方崩れるに連(つ)れて。下方も一時に潰崩(くわいほう)したるものならん。之を要(えう)するに今回被害の原因(げんゐん)は。強雨に在る者の如し。当日の雨量(うりやう)は第三トンネル中に溜りし降雨量十尺に上りたるを見ても如何に其甚だしかりしやを知るべしと。▲被害の状況 製錬場、事務所、工場とも大破損に及び。器械は過半数流失せり。採砿場は無事(ぶじ)にして。第一通洞南口は。一旦雍塞(ようそく)されしも。漸く十間許り開通(かいつう)することゝなれり。勘場も亦無事なれと。其(その)入口(いりくち)の橋墜ちて見る影もなし。又南口の運輸課出張所も破損(はそん)に及ひ。予防工事の沈殿池(ちんでんち)其他共跡方もなく埋没せしもあれは。破壊(はくわい)せしもあり。用度課出張所、学校、病院、倶楽部二箇所とも無事なれと。新座敷(しんざしき)(待賓室)の如きは大破に及鋳型、図工場、小麦畝の出張所其他上部鉄道、下部鉄道とも。非常に破壊(はくわい)して。山根|(鉄道所在地)より鉱山(くわうざん)に至るの交通は。頗る困難にして。白米三升を背負(せお)ふて辛うじて交通するを得る位なり。弟一|通洞(つうどう)の南口坑口より十間余破壊又西川|(西條より五里)の工業所は無事なれと。下流の村落は被害少なからす。死傷者五十余名に及(およ)べり。被害の最も甚しきは見花谷にして人家は悉く流失(りうしつ)して死亡者は四百人の多(おほ)きに及べり。尚ほ当日雨強く水流の如何(いか)に劇甚(げきじん)なりしかは。鉱山より三里の下流まて押流(おしなが)されし死骸あるを見ても。推知(すゐち)し得べしと。斯の如き惨状なるを以て。保安課(ほあんくわ)よりは。吉野川に死骸(しがい)の流れ出つる事もあらんかとて徳島県に注意を講ひたりと。▲銅山各部落の住者 は出入り常なく。一定の統計を見る事頗る難し。当局者と誰も知る事能ざる由なるが。災害当時迄村役場の取調(とりしらべ)に依れば。別子銅山全体の総戸数(そうこすう)は。凡八百戸。人口一万二千三百人なり。一家平均十四五人づゝ|同居(どうきよ)し。中には五六組の夫婦(ふうふ)雑居(ざつきよ)する者もありと。今回溺死又は圧死せし者。本籍 (右下段)五百八十四人寄留九十四人なるも。無籍者(むせきしや)又は地方人にして死亡せし者も多かるべしと。而して其の概略の統計は。字 名  全壊家屋  半壊家屋  流失家屋   死 亡   負 傷見花谷     一     四    三八   三九二    七五雨見谷     六     四    一二    四六     六山方      六     二     六     七     一目出度町    二     三     二     七     一(永久橋含む)    東延      〇     〇     〇     一     〇溶鉱炉     一     二    一四    二七     〇  小足谷    一一    一一     七    五八    二一 木方      〇     〇     〇     三     〇南光院     一     〇     六    一〇     一弟地      〇     〇     五    一〇     〇筏津      〇     〇    一一    二〇     一肉淵      一     〇     〇     〇     〇小美野     一     〇     〇     〇     〇竹ヶ市     三     〇     〇     〇     〇瓜生乃     二     〇     〇     〇     〇下七番     〇     一     〇     〇     二中七番     〇     〇     〇     二     〇奥七番     〇     一     〇     二     〇保七番     〇     〇     一     〇     〇 計     二五    二九   一〇二   五八四   一〇八     ●別子銅山」の変災に就て▲侍従差遣 今回別子銅山の変災叡聞に達し。被害実況視察(ひがいじつけうしさつ)として。片岡侍従を差遣はさるゝ旨仰出されたり。▲大庭知事 大庭愛媛県知事は。災害(さいがい)の報(ほう)に接し。視察として。同地へ出発(しゆつぱつ)したり。▲新居濱 の住友支店員は。銅山変災の報に接するや。驚愕惜くを知(し)らず。直に非常招集を行(おこな)ひ。応急の手段に着手せしも。