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コレクション: STAGE5

風俗畫報臨時増刊第百九十七号 明治三十二年諸國災害圖會 - 翻刻

風俗畫報臨時増刊第百九十七号 明治三十二年諸國災害圖會 - ページ 36

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【右頁上段】 家屋の倒壊三百十三、半壊百六十七、破損三百三十九、なりと     ●香川県下の暴風雨被害 讃州高松よりの報に八月二十八日夜八時半頃より。一《ルビ:天|てん》《ルビ:墨|すみ》を《ルビ:流|なが》 したる如く掻き《ルビ:曇|くも》り。東北の風強く。九時より十時の間風位南 西に転するや。《ルビ:非常|ひじやう》の猛烈となり。樹を《ルビ:折|を》り《ルビ:瓦|かはら》を飛し音凄まじ く。孰も活きたる《ルビ:心地|こゝち》なき《ルビ:折柄|をりから》。劇しき警鐘の響に驚かされ。 人々《ルビ:戸外|こぐわい》に立出て見しに。火の手東西南の三方に《ルビ:起|おこ》り。炎々天 を《ルビ:焦|こが》す光景人をして富山市の二の《ルビ:舞|まひ》を演《ルビ:演|えん》せすやと気遣はしめし か。幸に《ルビ:市街|しがい》の中心を《ルビ:離|はな》れ。香川郡東浜村字沖松島 (塩釜屋其 他三十戸許)木田郡潟元村、香川郡中笠居村、鷺田村等の農家 数十戸を《ルビ:焼払|やきはら》ひたるに。何れも一時間内外に《ルビ:鎮火|ちんくわ》したるは責め てもの事なりき。さて同県下の被害統計を挙れは左の如し  死者三百四十名、負傷者九百八十名、潰家一万千七百六十六  戸、破損一万四千二百三十六戸、火災十六戸、牛馬死傷百二  十頭、船の流失破損百二十二なり丸亀市は被害最も少なく潰  家三戸ありたるのみ。また高松市内にて主なるのもは高松製  糸所の器械工場及寄宿舎二棟倒潰、高等女学校の校堂大破損、  附属室倒潰、劇場東座、本願寺説教所本堂の屋根、壁等都て  脱落し、栗林公園掬月亭破損、高松停車場倉庫二棟倒潰せり 斯る《ルビ:暴風|ぼうふう》は五十年未曽有の事にて。幸に《ルビ:時間|じかん》《ルビ:短|みじ》かゝりしを以 て。被害割合に《ルビ:少|すくな》きも今少し《ルビ:長|ながか》りせは非常の《ルビ:惨状|ざんじやう》なりしならん と云へり。右に付知事は《ルビ:取敢|とりあへ》す属官、警部等十四名を県下各郡 に特派し。《ルビ:罹災|りさい》の状況を《ルビ:視察|しさつ》せしめたりと。 ▲香川郡 南部に《ルビ:被害|ひがい》最も多く潰倒家屋二千戸、死者百名、負 傷者三百四十余名の《ルビ:多|おほ》きに《ルビ:達|たつ》し。小学校の倒潰したるもの亦少 なからず。就中宮脇、栗林、鷺田、川岡、中笠居等の諸村には 【右頁下段】 十余ケ所の《ルビ:火災|くわさい》ありたり。 ▲大川郡 の《ルビ:被害|ひがい》は香川郡に《ルビ:比|ひ》して稍々少なけれども猶ほ《ルビ:死者|ししや》 九名、負傷者二十八名、潰倒《ルビ:家屋|かをく》百七十一戸ありたり、 ▲仲多度郡 にては《ルビ:死者|ししや》廿九名、負傷者七十二名、潰倒家屋五 百四十四戸、同《ルビ:納屋|なや》五百二十三棟、破損船舶五十艘。 ▲三豊郡 は死者十六名、《ルビ:負傷者|ふしやうしや》三十二名、行衛不明二名、潰 倒家屋四百八十戸にして《ルビ:尚|なほ》此の外多少の被害ある《ルビ:模様|もやう》なりと。 ▲木田郡 は南部のみにて《ルビ:死者|ししや》十二名、負傷者九十一名、全潰 家屋千二百五十戸にて三谷、阪ノ上等は最も惨状を極めたり。 ▲丸亀市 にては《ルビ:倒潰家屋|たうくわいかをく》一戸の外左したる被害なし。     ●愛媛県下の暴風雨被害 八月二十八日の暴風雨に付 県内(けんない)に於て被害の最も甚しきは宇摩(うま) 新居(にひゐ)の両郡にして。知事警官等は実況視察の為め。又赤十字社 救護員は救護(きうご)として同郡に出張(しゆちやう)したるが。兩郡のみにて行衛 不明のもの四百九十九人、死傷者千五百八十二人、家屋顛倒百 五、同流失百三十八、同浸水八百七十の外三津浜に沈没船数隻 あり赬瑞其他(ていずゐそのた)にて炊出米を受くるもの八百餘名ありといふ。 ▲暴風雨被害の統計 稀れなる大被害にして。随つて其調査も 容易(ようゐ)ならざりしが。九月三日に至て稍正確(やゝせいかく)なる取調へ成りし か。其統計(そのとうけい)は左の如し 【統計表省略】 【左頁上段】  附記(ふき)す。右宇摩郡の死者五百九十三人の内。五百八十四人は。  別子鉱山(べつしくわうざん)に於ける死者(ししや)なりと。     ●別子銅山の変災 別子銅山は。愛媛県伊予国字別子村に在り。新居浜(にひゐはま)より 五里とし。山領は四国中央山脈に於ける高峯(かうほう)の一にして。高さ 約四千二百尺。鉱業所(くわうげうしよ)は頂上より低(ひく)きこと。約六百尺の処に位せ り。其鉱脈の発見(はつけん)は。元禄三年 (今を距る二百九年)に在りき。 大坂の豪商(がうしやう)住友家の所有(しよいう)して。年々採掘の量は実に多額(たがく)なる ものなり。同鉱山の総人員(そうじんゐん)は事務員坑夫共六千餘名とか。別子 鉱山に至(いた)るには。尾の道よりするを順路(じゆんろ)とし。毎日正午尾の道 を発(はつ)する汽船木津川丸に塔(たふ)し。四坂島今治、西条を経て。日暮 新居浜に達すべし。此地(このち)には鉱業出張所あり。新居浜より山麓 端出場へは汽車(きしや)の便あり。(六哩四十二鎖)。夫(それ)より石ヶ山上迄は 空架鉄道(くうがてつだう)の設けあれど。危険(きけん)の虞れあれば。徒歩若くは駕籠(かご) にて登山(とざん)するが多し(此間近き一里)。石ヶ山上より鉱山(くわうざん)の北門 なる角石原(かどいしはら)迄は又 汽車(きしや)あり(三哩三十五鎖)是より人力車(じんりきしや)にて隧 道 (十一町五十二間)を通過(つうくわ)すれば。即ち鉱山に入るなり。去月 廿八日は。如何なる厄日なりしぞ。高知県を吹(ふ)き荒(あ)らしたる暴 風雨は。同鉱山をも襲(おそ)ひて。嶬峨(ぎが)たる山岳轟々鳴動し。一時に 崩壊(ほうくわい)して。忽ち人家を埋没し。若しくは流失(りうしつ)せしめ。数多の坑 夫は。生(い)きながら奈落(ならく)の底(そこ)に葬られたる一大 惨禍(ざんくわ)を現したり と。開抗以来(かいこういらい)曾て見ざる変災(へんさい)にして、凄傖悲惨の状。転た酸鼻 に堪(た)へざらしむ。今其詳報を記述(きじゆつ)すべし。       ●被害の状況 当日の天候(てんこう)を聞くに。朝来細雨降しきり。微風(びふう)之に和して、何 となく不穏の兆候(てうこう)を顕(あら)はせしも。由来風雨の大災害を被(かう)ぶりし ことなきことゝて。別段意(べつだんい)に介(かい)せざりしに。此日の風位は。常 【左頁下段】 になき東北(とうほく)より一転して西に回り来(きた)りしより(別子の風は東南 より西に回りて止るが定則の如しと)皆人奇異(みなひときゐ)の思ひを抱(いだ)きつ ゝありし中(うち)午後六七 時(じ)の頃に至りて。漸く威力(ゐりよく)を加(くは)へ険悪の雲 張り。地下には一 種(しゆ)の鳴動(めいどう)を聞くよと思ふ間に。風雨益猛威を 逞くし。其勢当るべからざるに至(いた)りしにぞ。人々安(ひと〴〵やす)き心なく。 或は金盥(かなだらひ)を敲き。或は石油の空鑵を打鳴(うちな)らし。互に警戒を加へ 居りし一 瞬間(しゆんかん)。暴風猛右衛門雨は家屋人畜を飛散(ひさん)せしめ。瀧なす雨水 は四山より奔流(ほんりう)し来りて。之を埋没(まいぼつ)し了れり。号泣救を呼ぶ聲 悲鳴助(ひめいたすけ)を請ふ聲。時に聞えざるもあらざるも。満山険悪(まんざんけんあく)の気を 以て塞(ふさ)がれ。四境暗澹寸歩を進(すゝ)むる能はざれば。誰あつて急に 赴くもふさのとてなかりき。 猛烈なる風雨(ふうう)は乍ちにして歇みたりしかど。視来(みきた)れば満山の諸 部落更に舊形を存(そん)せず。殊に見花谷の如き、人家五十戸中僅か に二戸を残すの外。悉く地下 幾丈(いくじやう)の裡に埋没せられ。小足谷の 如きも数戸を残(のこ)して。或は地底に埋没(まいぼつ)せられ。或は雨水の為遠 く吉野川(よしのがは)に押し流され。別子の満山(まんざん)は茲に悲惨の境と化し了れ り。道路、鉄道、橋梁等一も破壊(はくわい)せざるはなく。電信電話亦用を なさゞるに至りしより。急を(新居浜)視支店に報(ほう)ずるに由なかり しが。敢勇(かんゆう)なる某々二名は。自己(じこ)の危険を恐れずして。深夜別 子を発(はつ)し。暗黒咫尺を辨(べん)せざる中をも意とせず。道なき深山(しんざん)に 分け入りて。峰を越え谷を過りて。遂に払暁急を新居浜に報ず るを得たりと。 ▲被害の原因 今回の被害場所(ひがいばしよ)は。海面を抜くこと三千五六百 尺の高所に在りて。家屋は山岳重畳せし山腹(さんぷく)に建築せられ。板 葺の上に石を載(の)せられたるもあれば。或は又 藁葺(わらぶき)のものもあり 其辺(そのへん)の土質は一体に疎鬆なる故。降雨(こうう)其内に浸潤して。一時に 崩れ。家屋も人畜(じんちく)も岩の下に押し潰されたり。元来(ぐわんらい)傾斜面のこ