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【右頁上段】
同 橘 三百五十戸へ金二百円
同 大保木 十一戸へ西の川支所より食料一週間分、金二十五円
同 加 茂 四十三戸へ金二十五円
守摩郡関 川 七十余人へ金二百円
計 三百十六人余、四百四戸へ三十一石二斗、金千二百三十円
▲住友家の損害 別子銅山の災害より生する住友家の損害は。
未た正確なる統計(とうけい)に接せされど。或重役の語(かた)る所に拠れば。救助
及|復旧等(ふくきうとう)直接の損害は。凡百万円を超ゆべき見込(みこ)みなり。然れ
と間接の損害を数(かぞ)ふれは。百五十万円に近(ちか)かるべしといへり。
●変災余聞
▲森保安課長の直話 同課長は。新居郡領川筋|被害(ひがい)実視(じつし)の為め
災害の翌日午後七時頃着したるに始て別子銅山の惨況(さんじやう)を聞き。
卅日午前一時新居浜を発し。破壊(はくわい)せる鉄道線に依り岩角(がんかく)を鑿【穿】ぢ。
同日午前五時頃|銅山(だうざん)に着し。先づ見花両見両谷を実視(じつし)せしに。
破壊(はくわい)の家屋は多くは下方の足谷川 (吉野川上流)の谷底(たにそこ)に埋没せ
られ。頭足を異にせる死体(したい)累々(るい〳〵)として其処(そこ)彼処(こゝ)に散在しあり。
先づ表面に顕はれある者。百有余を点検(てんけん)して。簡便なる検案(けんあん)
書(しょ)を作り。死体の判然(はんぜん)たる者は。検視の手続を済せ。夫々遺族
に引渡(ひきわた)す事となし。又其何人たる事の判然せざる者は相当(さうたう)の手
続を定めて取片付(とりかたづ)け。臨機の処分を為すに決したるも。此辺の習(しふ)
慣(くわん)として火葬を為すを忌み嫌ふの風あり。左れど数多き死体(したい)を
一々|埋葬(まいさう)するの暇なきを以て。親類(しんるゐ)故旧(こきう)に説諭して。漸く火葬
の事を承諾(しようだく)せしめ。新に二ヶ所の火葬場(くわさうば)を設けたり。又銅山事
務所に在ては。土木課の大工五十余名をして。昼夜(ちうや)の別なく棺(くわん)
箱(はこ)を造らしめ。検視済(けんしすみ)の分より棺箱に納め。遺骨(ゐこつ)は八寸角の白
木箱に入れ。遺族(ゐぞく)に引渡す事となしたるも。爰(こゝ)に一の難事は普
通の死体を焼くには一人に付|燃料(ねんれう)凡そ十貫目にて足れりとする
も。今度(こんど)の死体は凡そ八十貫目を要し。燃料(ねんれう)の欠乏(けつばう)思ひ遣られ
【右頁下段】
たりしも。幸ひ銅山には多く材料(ざいれう)ありて。本月二日迄の間に既
に百五十名を火葬したり。左れど氏名不詳者は後日の為め埋葬(まいさう)
し置き。又遺族の火葬(くわさう)を肯んぜざる者五六名は。同じく埋葬し
たり。要するに死者の取扱(とりあつかひ)に対しては。頗る鄭重(ていちやう)なりしと云
ふ。
▲死体発掘 銅山各部落の死体は。足谷川の渓流|遠(とほ)く阿波国
吉野川に注流(ちうりう)するを以て。同県三好警察署所轄部内に百五十七
個の死体(したい)漂着(へうちやく)し。尚ほ別子銅山出張の愛媛県警察部片岡警部は
巡査三名を引具(ひきぐ)し。同川筋|死体(したい)探見(たんけん)の為め出張せり。見花両見
両谷の死体は。銅山事務所前の足谷川々底に二百人許も埋没(まいぼつ)し
ある見込(みこみ)を以て。去る二日より向ふ十日間を期(き)し。悉皆(しつかい)掘出(ほりだ)す
筈(はづ)にて。二千五百円の受負(うけおひ)事業(じげふ)となし。人夫二百人を使役(しえき)して。
昼夜(ちうや)の別なく掘出せしに此谷間は破壊(はくわい)の家屋数十戸。岩石と共
に陥落(かんらく)し元の谷底(たにそこ)より二丈余も埋もれありて。上部は濁水(だくすい)滔々(たう〳〵)
として奔流(ほんりう)するを以て。木石の合間に圧迫(あつはく)しある死体を取出す
事実に困難(こんなん)の事業(じげふ)にして。死体は何れも無惨を極め。首、胴、手、
足、切れ〳〵となり。又|妊婦(にんふ)の如き腹部(ふくぶ)裂(さ)けて胎児(たいじ)のハミ出した
る抔ありて。其(その)惨状(ざんじやう)転(うた)た酸鼻(さんび)に堪へす。四日間に発掘せし者の
みにても百六十名に達(たつ)したりと。
▲第三隧道内の生存者 同隧道は目下|開鑿(かいさく)工事(こうじ)中にて。已に内
部レールを敷(し)き三千五六百尺も堀穿(ほりうが)ちしに。今回の暴雨の為め
其北口の山岳(さんがく)崩壊(ほうくわい)して。岩石を以て開鑿口を閉塞(へいそく)したり。当時
此工事に従事し居りし者二十五名あり。必定(ひつじやう)坑内(こうない)に圧死を遂げ
しならんと。死体(したい)探索(たんさく)の見込を以て。五六十名の坑夫を派遣し
三十日午前より発掘(はつくつ)に着手せしに。岩石容易に取除(とりの)け難く。五日
間を経て九月三日正午比に至り。漸く坑内|開鑿口(かいさくくち)に達したりし
が坑内より幽(かすか)に人声の聞ゆるより。愈坑内に生存(せいそん)しあるを知り。
【左頁上段】
之に力を得て外部より勢一杯(ぜいいつぱい)に堀込みしに彼も又外部より堀来(ほりく)
るを知り。手を以て砂礫(されき)を取除けつゝありしが。此|生存者(せいそんしゃ)は九
死に一生を得て其(その)悦(よろこ)ひ言はん方なく。何れも元気(げんき)衰弱(すゐじやく)の模様見
えざりしかと。兎に角医師の診察(しんさつ)を受けしめ。介抱(かいほう)の上宿許に
差返したり。助命者(じょめいしゃ)は負夫西坂清一 (廿六)同岡崎初次郎 (廿
九)同政田徳太郎 (四十二)馬丁小沢忠兵衛 (廿三)政岡龍次
(廿六)の五名にして。彼等(かれら)の話に依れば。坑内に閉塞(へいそく)せられし
以来。己に六昼夜を経たる事確かに記憶(きおく)せり。岩石(がんせき)崩壊(ほうくわい)の際は
他の二十名の者は坑外にありし為め。全く押流(おしなが)されしならん。
其際荷馬三頭あり。内一頭は吾等(われら)共(とも)に坑内に在りしも。坑内水
の湧出(わきいづ)るに従ひ。自然と充満(じうまん)し来り。馬は二日目に湧水の為に
溺死(できし)を遂げしも。彼等は坑口より流込みし土砂(どしゃ)の上に登り居り
て幸に溺没(できぼつ)を免れしと。実に神仏(しんぶつ)の加護(かご)によるならんと語り居
れり。
▲全家内十一名の死亡 銅山販売課長松村永松氏が。今度の罹(り)
災者(さいしゃ)中最も不幸の大災害(たいさいがい)を蒙りしは。気の毒とや言はん。同氏
を始め妻女(つまぢよ)モト長女スミヱ二女小富長男秀一三女きみ次男保正
三男武夫四女スヱ実弟松村栄一下女ヒヤクの十一名|死亡(しぼう)し。中
死体の発見(はつけん)されしは栄一スヱヒヤクの三名のみ。他は死体(したい)の何
処にあるか未だ判然(はんぜん)せざるよし。又店員佐伯哲氏は四名の家族
何れも家屋(かおく)崩潰(ほうくわい)の下に圧せられ。佐伯は死亡せしも。妻女チヨ
長男利一下女ヒロの三名は。落掛(おちかゝり)たる棟木に支へられて。其空(そのくう)
所(しょ)に在て助り居りしを。廿九日の朝に至り漸(やうや)く救ひ出されたり。
▲死体の名刺 鉱山(くわうざん)医員(いゐん)医師(いし)神尾泰之氏は到底死を免(まぬがれ)さるを覚(かく)
悟(ご)したるものと覚しく。自分(じぶん)の名刺を右の腕に付其上を白布(しろぬの)を
以て繃帯(ほふたい)の如くなし居りたれば。真先(まつさき)に死体を発見せられた
るが。家族(かぞく)七人もある身の其時の心中(しんじう)如何ならんと。人々涙を
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催(もよほ)せりとなん。
▲好運の婦女 宇摩郡(うまごほり)金生村(かなふむら)柴垣(しばかき)じやう(十九)は当夜腰よ
り下を土砂(どしゃ)に埋められ。死に至らんとせしを。翌朝(よくてう)八時頃何人
か之を救ひ出したるも。正午頃(しやうごころ)迄(まで)捨(す)て置かれしが頓て住友家役
員之を認め臨時(りんじ)病院(びやういん)に宛てたる小学校に連れ帰りて。治療(ちれう)を加
へたりと。
▲負傷者十九名 死亡者に比し。負傷者(ふしやうしや)の案外少数なりしは。
災変(さいへん)の余り急激(きうげき)なりしに基因せり。一時は軽傷者百余名を出せ
しも。僅かの手当にて全治し。使役に従事(じうじ)し居れり。尚ほ臨時
病院に収容(しふよう)治療(ちれう)中の者は。僅に十九名に止まり。此患者中には
最早(もはや)や生命に関する程の者あらざるよし。病室(びやうしつ)は住友家新立の
別子尋常小学校を以て宛て。主任医師は林一等軍医正にして。
看護人(かんごにん)は陸軍看護卒及び赤十字社の大阪支部員等なり。
▲米穀及日用品の運搬 新居浜より別子迄の運送(うんそう)方は。下部鉄
道に起りイングラインを経て。上部鉄道に移り運搬(うんぱん)しつゝあり
しに。鉄道は上下共に大破損(だいはそん)を来し。今後(こんご)復旧(ふくきう)の見込容易な
らす。然して別子銅山には。変災(へんさい)の常時玄米一千五百石白米七
十余石の貯蔵(ちよざう)ありし米稟(べいりん)破壊(はくわい)して。多く貯蔵米を流失したれは
変災(さいへん)翌日の如き殆ど飯米(はんまい)の尽きんとして。当局者大に憂慮(ゆうりよ)せし
程なりしかは。さしむき道路の仮修繕(かりしうぜん)に着手し。中国地方よ
り白米其の他の日用品を取寄(とりよ)せ新居浜より山根迄|汽車積(きしゃつ)みとな
し。山根より端出場迄 (三哩余)は下部(かぶ)鉄道線(てつだうせん)に依いり。負夫 (貨
物を背負ふ人足)二三百名ヅヽを使役(しえき)し。端出場より石ヶ山上
迄イングライン(一哩)に依り。石ヶ山上より更(さら)に負夫二百名
をして角石原迄。同上部鉄道線に依り運搬(うんぱん)する白米は。一日四
十石を下らす。其他|日用(にちよう)の必需品(ひつじゅひん)は。凡二十貫を下らざるよし。
斯る有様(ありさま)なれば。運賃(うんちん)の如きも。一時は平素(へいそ)の十倍位に騰貴