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【右ページ上段】
くる所あり。其の道路の如き。往昔は軍略上より故らに之を迂
折し。且つ濶坦ならさるを却て便宜と為したれは。今日に在り
ては改正すべき所少しとせず。其の最も厭ふべきは狭隘なり。
狭隘は火災に大害あり。而して平時に於て改正事業を実行せむ
には。種々の故障あり。経費亦巨なるも。火後には一望曠原な
るに因り。甚た利便なり。是れ従来火後に於て実行せし所以な
らむ。今回焼失せし横浜市関外地の如き。開港場たる面目を保
持するに適当ならず。電気鉄道の敷設すら猶ほ之を難しとすと
いへり。富山市の如き。想ふに亦十分なるものにあらじ。宜し
く此機に乗し。断然改正すべし。大路の火災遮断に功あるは争
ふべからざる事実なれば。当局者は此災害に鑑みて。三府の如
き繁華稠蜜の地は。平日に在りても。著々其の改正に従事し。
速かに成功を告るを期すべきなり。
第二は家屋の改造とす。是れ最も防火に緊要なるものなり。横
浜市関外地に土蔵造の少きと。富山市の屋上燃質物の多かりし
は。大火に至りし一因たりしにあらずや。余輩は欧米各国の如
く高崇輪奐を以て。其の観望を壮ならしむべしと主張する者に
あらず。然れども今や文明の聖時に遭ふて市区の中に住する者
は。茅茨土階を以て甘するを許さず。目下市中には屋上制限あ
りと雖も。劇場混堂を除くの外。家屋建築に関する制度なし。
今新に議定して全国一般に行ふこと能はずとするも。各市枢要
の地に限りて。先つ之を実行することゝし。能く火災と地震と
に耐へ。且つ衛生に適せしむるを期すべし。其の地盤を翆固に
し。外壁屋上に不燃質の材料を用い。両家の間に隔壁を築く等。
総て之を安全に為すの方法は。其の道の人に就て質すべし。余
輩は唯改造の大体を論するなり。此の規定方法にして果して便
宜なれは。則ち指定の地区以外に至るまて。令せずして漸次行
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はるゝに至らむ。畢竟木像家屋の櫛比せるは。猶ほ枯薪を山積
するがごとし。其の間に起臥して久しく安眠を貧らむとする
は。豈に不注意の至りならずや。
第三は給水の準備とす。火は向ひ邇くべからずと雖も。水以て
之を鎮減すべし。水にして充溢し。給注者にして奮励せむか。
火何そ患ふるに足らむ。富山市の如きも。給水に欠乏せざりし
も。消防夫は十分に需用せざりしといふは。今之を追論せず。
横浜市の如きは。水道消火栓の設備あり。消防夫亦直ちに此に
莅みしも。当時断水中たりしを以て。急に其の利器を使用する
能はさりしは。豈に遺憾ならずや。聞く同市の水道は。明治十
八年に起工し。二十年に竣工せしものにして。設計起工等一切
中央政府の手に成り。市は此に与さりしに。水道条例及ひ会計
法等の施行に先ち。会計整理の為め。市に交割したるなり。設
計の当時は。死の人口七万なりしを以て。十万の飲用に供する
積算なりしに。今日は此に幾むと相倍せしかば。遂に水量の不
足を告け。給水時間は昼夜僅かに八時間にして。他の十六時間
は全く断水するの已むを得さるに至りしといふ。但目下水管を
複線に為すの経画を以て工事を著手中なるも。成功未た期すべ
からず。火災の当時若し水量余りありて。貯水池の水弁十分に
開け居たらむには。消火栓の水勢直ちに之を鎮滅し。大火には
至らさりしならむ。嗚呼今日に於て当局者を責るも。所謂六日
の菖蒲十日の菊花のみ。故に余輩は禿筆を勢せず。唯希望する
所は。東京市を首め苟も水道に従事する者は。此に鑑みて精査
熟考し。後来火災に際して毫も支障なく。必らず大功を奏する
を期するに在るのみ。
第四は消防器具の整備とす。赤手以て火を防く能はず。器具の
要用なる。素より論を俟たず。若し横浜市にして蒸気喞筒の類
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整備したらむには。直ちに川渠の流水を倒巻し。屋上に雨射し
て小災ならしめしならむ。然るに平生の注意此に及ばず。単に
消火栓にのみ依頼せしは。緩慢の至りなりといふべし。況や消
火栓等の設けなきの地方は。予め精巧の器具を整備し。後日の
悔なきを期すべし。東京市に於ても消火栓完成せば。蒸気喞筒
は或は贅疣たらむかと想像せしものありしが。曩者余輩が東京
火災消防団会に記述せしが如く。此等の器具は決して軽視すべ
きものあらざるのみならず。益々其の用の大なるべきを悟れ
るなるべし。
第五は消防夫の奮励なり。消防の器具いかに整備せしと雖も。
消防夫にして奮励せざらむか。猶ほ清国旅順の砲台堅牢なりし
も。守者にして勇気なかりしかば。遂に其の功を空ふせるがご
とし。出火場は太平の戦場なり。消防夫怯懦なれば。何そ之を
鎮滅するを得むや。従来江戸の花と称せしは。江戸の火災をい
ひしにあらず。江戸消防夫の勇気ありて火を畏れさるの挙動
等。いかにも花〳〵しかりしより此称ありしが。後ち相混して
火災の事としたるなり。富山市消防夫の如き。既に戦場に臨み
て家を憂ふるは。畢竟勇気なきに因れり。給料の薄少を以て其
の責を辞するを許さず。豈に戒さるべけむや。今後他市の消防
夫は。宜しく奮励して其の職分を全ふするを期し。以て東京に
抗敵すべし。各地の気性異なりと雖も。同しく是れ大和男子な
り。其の養成の如何に因りて。之を一変するを得べきなり。
第六は火災保険とす。目下各会社の為す所を見るに。其の名称
に負く者少しとせず。何そや。平日に在りては。家屋掩護の方
法を講せず。唯罹災後に至り、予定の金額を其の人に交付する
のみを以て。義務を尽せりと為す者の如し。蓋し保険とは。危
険を保安するの謂ならむ。此の解釈にして果して至当なりとせ
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は。則ち能く家屋を掩護し。火災をして此に及はしめさるを以
て保険とこそいふべけれ。各会社常に此の主旨を全ふせし者あ
るか。毎社大抵喞筒及ひ消防夫の設備なきにあらずと雖も。唯
是れ言責を塞くに過きず。大家の消防に至りては。七八の人員
能く防禦し得べきにあらす。況や一ケ所に敷家の保険加入者の
列在せる時に於てをや。又其の到着を見るに。市街消防夫より
遅延するは勿論。甚しきは鎮火の際に至りて来るあり。是れ豈
に保険の主旨ならむや。故に今後は此が改善の方法を講し。消
防夫及ひ喞筒を増置し。平日其の家の給水並に四辺危険物の有
無を調査し。烈風の日は殊に警戒し。若し保険加入者の近傍に
出火あらは。直ちに赴て尽力し。必要保安の義務を有せさる市
街消防夫のみを労せしめす。以て其の職分を全ふするを期さる
べからず。余輩より之を視れは。罹災後の送金は。蓋し罰金と
いふべし。罰金を出して得々たるは。余輩の取さる所なり。
以上は火災消防に就て欠くべからざるの要項を論せり。此の要
項にして悉く完備せむか。火災は決して患ふるに足らず。唯夫
れ人力を以て防禦鎮滅する能はさる暴風雨に至りては。気象の
学を明かにし。且つ家屋等を堅牢にして。此に備ふるの外方法
なしと信すれは。余輩こゝに論及せず。
●横浜市の大火
●焔硝の実況
明治三十二年八月十二日は朗晴(ろうせい)なりしも連日 吹続(ふきつゞ)きたる烈風末
だ歇ず。然れども猶 葛衣納涼(かついなふりやう)の時節なれば。俄(にわ)かに火災のある
べしとは。思わさりしに。何そ図(はか)らむ横浜市に大火災の起らむ
とは。時に午後八時三十分。雲井町一丁目五番地の湯屋渡世勝
盛館 (名義人島村マス)裏の路次を隔(へだ)てし物置(ものおき)と隣家の間より発