能登半島の資料を翻刻!

コレクション: SHOSHO「能登」

能登名跡誌 - 翻刻

能登名跡誌 - ページ 16

ページ: 16

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権現の勧請の宮あり今は石坂村の氏宮にて大木し けり有又此盤若川の縁登れは吼木山へ行也堂ヶ 谷村とて有昔大師建立の地蔵堂ありしゆへ名と せり此村過半浄土真宗にて此地蔵堂を壊とて本 尊を杉のまたに立置しに其尊像次第にいつとな く木中へ入給ひしより今馬屋と云所に地蔵杉と て大木あり      飯田ゟ上りの ■■也三拾三丁有本馬四拾四文軽  鵣飼  廿六文人足十三文家数百八十軒斗あり 此村に昔は郡奉行在住ありて其頃は大猟して繁 昌せし也妙厳寺とて東方院家あり除例一郡浄土 真宗触頭の録所也寺領拾弐石西方寺村一村支配也昔は 西方寺村に有之丈六山西方寺とて天台宗にて三崎権 現別当兼帯の寺なりしといへり中頃利家公黒嶺の 城主阿部半官義宗退治の時雪中に及此寺に御滞留 あり元朝に黒嶺落城有し時御褒美に子孫有為に 浄土真宗に被成改名有妙厳寺といへり依之利家公 の御縁御代々御位牌客殿にあり其時は一郡の