翻刻
権現の勧請の宮あり今は石坂村の氏宮にて大木し
けり有又此盤若川の縁登れは吼木山へ行也堂ヶ
谷村とて有昔大師建立の地蔵堂ありしゆへ名と
せり此村過半浄土真宗にて此地蔵堂を壊とて本
尊を杉のまたに立置しに其尊像次第にいつとな
く木中へ入給ひしより今馬屋と云所に地蔵杉と
て大木あり
飯田ゟ上りの ■■也三拾三丁有本馬四拾四文軽
鵣飼 廿六文人足十三文家数百八十軒斗あり
此村に昔は郡奉行在住ありて其頃は大猟して繁
昌せし也妙厳寺とて東方院家あり除例一郡浄土
真宗触頭の録所也寺領拾弐石西方寺村一村支配也昔は
西方寺村に有之丈六山西方寺とて天台宗にて三崎権
現別当兼帯の寺なりしといへり中頃利家公黒嶺の
城主阿部半官義宗退治の時雪中に及此寺に御滞留
あり元朝に黒嶺落城有し時御褒美に子孫有為に
浄土真宗に被成改名有妙厳寺といへり依之利家公
の御縁御代々御位牌客殿にあり其時は一郡の