能登半島の資料を翻刻!

コレクション: SHOSHO「能登」

能登名跡誌 - 翻刻

能登名跡誌 - ページ 21

ページ: 21

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今に金峰寺竹とて名物也又畠山類家松波氏帰 依の薬師尊像あり御仏田料月崎七拾五束外 田地拝領有又広国村近し加志波羅比古の神社立 給ふ其所を則小名子柏原といふ也昔は大社也珠洲 郡式内三社の其一社也其別当跡とて庵の 薬師 とて有吼木山の下寺なりしといへり此村を広国といふ は日野新左衛門尉広国といひし人住し由の名なり 是は日野広 蔭(カケ)といひて公卿の人後は改名あり知徳 広蔭といふて京都ゟ兵乱を遁て爰に来て 卒死有しといへり妻清宝長生にて尼に成八拾四才 にて入定ありし塚有法華経一生書写ありし経 塚抔有此其子広国の子孫中頃十村役となり飯田に ありしに七郎右衛門とて才科の事に付遠嶋有其子 玄順とて医師にて近頃迄存命有し也此家代々 幼名に熊の字を以付し由日野熊若丸の子孫にや今 委き事しれす惣して此広国散村の名に助政 是国抔とて此辺にありいつれも此筋目を云し由 助政は太田氏のよし鳥越村近し六左衛門とて山廻り