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東斎随筆
仏法類
大職冠の家は山城國宇治郡山科村陶村に有
大臣久身病あり時々百済の尼法明と云人有病
をいやすへき法を問たまふ時誰摩経を借養し
給はゝ病平癒すへしと云これによて大臣の家の内
に堂をたてゝ維摩経を講せしむ回疾品を講せし
兼時大臣の病則愈たり是より毎年此経を講
せし御法海公の世に至て陶原の家の堂をうつし
て桑良の京にたつ是によて興福寺を山階寺
ともなつけ又藤原寺とも号せる也長岡大臣内麿
一大願を発て不空羅索観音像并四天王像を
造立す閑院贈大政大臣冬嗣公弘仁四年南国
堂をたて観音像を安置し給へり法花会は
長岡大臣の御仏事也十月六日の忌日を結願
にあてゝ七ヶ日おこなはるゝ也備前国鹿田庄を
其料所とせり
今乗百済尼法明講経の事は維摩会表
白に斉明天皇二年丙辰の年の事といへり
猶日本紀には此事所見なしならの京を造
始事元明天皇和銅元年戊申の年十
二月なり三年庚戌の年つゐに逆都の事