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翻刻
候
松平甲斐守輝綱天草日記曰廿三日午刻自江戸
水野日向守幷息美作守来着
水野譜曰備前守勝貞寛永十五年肥前国島原之
耶蘇蜂起之時父勝重に志た加つて発向す
藩幹譜曰初免将軍家信綱に被仰下しは日向守
勝成者さるふる者ふ連は加連ら父子か向は
さらん程は只遠攻にせよ軍して兵討春へか
ら春と有しかは信綱かし古尓至りて軍を留
て勝成歟至るをまつ勝成已さて日数扁て二
月廿二日尓楚いき多り希る
松平氏覚書曰細川越中守有馬左衛門佐鍋島信
濃守有馬玄蕃頭立花飛騨守小笠原右近太夫
松平丹後守小笠原信濃守寺沢志摩守水野日
向守右拾人之衆江戸ゟ御暇被下有馬城迄参
着春其外諸大名ゟ鉄炮之者五十百夫に侍大
将五七人つゝ相添越連たり人数都合拾弐万
之着到也右之人数を以て城を取囲て仕寄を
春る也海上に者大舩共を浮へて鉄炮に而責
たり希り陸に者金堀を附たれ共城中に茂金