能登半島の資料を翻刻!

コレクション: SHOSHO「能登」

能登名跡誌 - 翻刻

能登名跡誌 - ページ 43

ページ: 43

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此事を外の友に告けれは各此肉を咋す三越出 てわけて此肉をく喰へと進むによつてひそかに 懐中して帰るさに捨てぬ壱人酒に酔いて此肉 をわすれて帰りけるに壱人の娘ありて産(ツト) と思ひ喰ひけり三越其後来ていふよふは人 間は短命なれは輩に長生して語ぬと思ひ 日外人魚を出せしに喰玉わす人間はうたかひ 深きものとて其後再ひきたらす此人魚を 《見せ消ち:咋|喰》し娘長生して八百比丘尼といひし由又この 能登国鳳至郡縄又村の産とも所にいへり是も 玉椿村と同し説なりいかにや 又留木より弐里に大福寺村の大福寺とて真言宗 あり寺領弐拾俵諸堂御建立なり金陵山といふ 寺社は六社権現なり高爪気多三崎石動白山 八幡宮の六社なり昔は七堂伽藍の大社なり大宝 年中泰澄大師開基の《見せ消ち:大|土》地にて富木院内は 不残社領有しといへり其時鳥居ありし所を