翻刻
【「 」は矩形で囲われた文字】
二日二度ゆり四日もゆり十二日は二度ゆり十一月十五日もゆり廿二日は大ゆり廿四日
廿九日ゆり十二月朔日二日もゆる十四日 清行僧(みもちきよきそう)百口(ひやくにん)を大極殿(たいごくでん)に集(あつ)め三ヶ
日の間 大般若経(たいはんにやきやう)を転読(てんどく)せさしむ十六日地震して雪(ゆき)ふる十九日も又
ゆる年改り同五年二月五日十二日十五日三月四日十一日六月三日五日
廿五日もゆる同七月廿九日老人の傜(ねんぐ)をゆるされ八十以上ならびに後(ご)
家(け)やもめ親(おや)なき子(こ)子(こ)なきものゝ貧(まづ)しきに物をたまふ十月廿二日大地
震○同六年三月朔日地大に震ふ○同七年正月三日辰時出羽国大地
震秋田城四天王寺 㒹(くつがへ)り屋仆(いへたふ)れうたれ死(しぬ)る民(たみ)十五人 体損(けがにん)人百人 余(あまり)
地として砕(さけ)ざる処もなく或(あるひ)は三十丈 計(ばかり)或は二十丈 許(ばかり)におよぶ秋田川(あきたかは)水(みづ)
涸(かれ)つくしぬ震動一時に七八度ツヽ同月廿八日にいたりてもやまず風吹(かぜふき)
雪(ゆき)もふる同四月 公(おほやけ)より使(つかひ)を下(くだ)し当年(たうねん)の租調(ねんぐ)をゆるし屋(いへ)を修(なほ)させ
圧亡(おされしに)たるものを葬しめたまふ同五月一七日の間僧百人を大極殿(たいこくてん)にめさ
れ大般若経(だいはんにやきやう)を転読(てんどく)せさせたまふ○同十年二月廿四日 己(みの)【(巳の誤記)】刻(こく)地大いに
震ふ以上「類聚国史」「仁(にん)明天皇」「承和」三年五月二十日地大に震ふ○同八年
二月十三日信濃国地震一夜に凡九十四度 墻屋(かきいへ)倒(たふ)れ頽(くづ)れ上下 損(そこな)はれ
ぬものなし○今年伊豆国地震し人も物も損傷(そこなひやふ)れ租調(ねんぐ)をゆるさ
るゝ等の事出羽国におなじ《割書:月日いまだ|つまびらかならず》以上「続日本後紀」「文徳(もんとく)天皇」「嘉祥」三年
八月廿六日地西北より震来(ふるひく)る鷄雉(にはとりきじ)みなおどろく○同年十月出羽国地大に
震(ふる)ひ裂(さけ)山は谷となり谷は山となり圧死(おされしぬ)る者多し賑恤(おすくひ)の次第(しだい)前(まへ)に
おなじ以上「文徳実録」○同「斉衡」二年五月五日大地震南都東大寺の大仏
の御頭(みぐし)地におつる「和漢合運図」同三年三月此つきしば〳〵地震あり京
都 及(また)城南(みやこのみなみ)屋(いへ)毀(こは)れ仏塔(ふつたふ)傾(かたむ)く○同「天安」元年七月八日 地(ち)大に震(ふる)ふ