翻刻!地震・災害史料

コレクション: 国文研地震

地震年代記 - 翻刻

地震年代記 - ページ 5

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【「 」は矩形で囲われた文字】 《割書:日つまひ|らかならず》肥後国(ひごのくに)雨ふりて地震し八代(やつしろ)天草(あまくさ)葦北(あしのきた)の三郡 官舎(やくしよ)并 ̄ニ田二百九十 余(よ)町 民家(みんか)四百七十余 区(むら)人千五百余 口(にん)水にたゝよひ没(しづめ)らるゝ山二百八十余 所 崩(くづ)れ圧死人(おされしするもの)四十余人 公(おほやけ)より賑恤(をすくひ)あり○同十七年四月廿七日通夜二日 三夜地震 美濃国(みのゝくに)櫓館(やくらのたち)正倉(おくら)寺院(てら)民家(みんか)崩(くづ)れひきつゞき五月朔日 二日三日四日地震し五日には日夜(よるひる)止まず六日七日八日九日十日十六日十八 日地震し地拆裂(ちくだけさけ)水 涌出(わきいづ)る二日より一七日の間京都の諸寺(しよじ)にて最勝(さいしやう) 王経(わうきやう)を転読(てんどく)せられたまひ八日より三七日の間 大安寺(たいあんじ)薬師寺(やくしじ)元興寺(ぐわんごうじ) 興福寺(こうふくじ)にて大集経(たいしふきやう)を読(よま)せたまふ「大炊(おほい)天皇」「天平宝字」六年五月九日 美濃(みの)飛騨(ひだ)信濃国(しなのゝくに)地震す家損(いへそん)じたる者に米二石つゞ賜(たま)ふ以上「続日本紀」 これまでの地震何国としるさぬはもはらみやこにてゆすりしなりたゞし 此ころは大和国にみやこありしなりつぎよりは平安城いまの京なり 「桓武(くわんむ)天皇」「延暦」十六年八月十四日地震と暴風(あらがせ)ふきて京中の坊門(きど)民家(みんか) たふるゝもの多し「平城(へいしやう)天皇」「大同」二年五月地大に震す「嵯峨(さが)天皇」「弘仁」九年 七月相模武蔵下総常陸上野下野等の国 地震(ぢしん)し山崩れ谷埋(たにうづま)るゝ 事 数里(すうり)圧死(おしころされ)たる百姓(ひやくしやう)勝(あげ)て計(はか)るべからず八月 賑恤(おすくひ)をたまひ今年の租調(ねんぐ)を 免(ゆる)したまひ屋(いへ)を修(なほ)し圧没(おしつふされ)たる徒(ともがら)を歛(はう)【(斂)】葬(むら)しめたまふ九月御祈祷あり 「淳和(しゆんわ)天皇」「天長」四年七月十二日地震し頽屋(たふれいへ)おほし一日の内大ゆり壱度 小ゆり七八度同十四日地動てやまず亥刻大に震ゆるごとに声(こゑ)あり 同十五日震動十六日に二度十九日大ゆすり二度廿一日廿二日もゆり 廿四日は昼夜三度廿五日はゆりて雨ふり戌刻もゆり廿七日は大ゆり 廿九日もゆり晦日もゆりて午刻大ゆり未刻にもゆる八月三日も五日 もゆり六日は三度ゆり八日も十二日も十四日十五日も十六日十九日廿二日も ゆり廿四日は両度九月朔日もゆり十五日は大ゆり二十日も廿ニ日もゆり十月