東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 6

宝玉塵劫記 - 翻刻

宝玉塵劫記 - ページ 37

ページ: 37

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【右丁】 と成に長さ四百間をかけ二一三と成を四二二五に割ば五千四十一坪四分二厘と成也また 右の二一三を六五にて二たびわりても知るゝなり ○たとへば堀長さ三百八十間上はゞ廿二間半下はゝ十九間壱尺三寸深さ四間半 に堀とき毎日千人づゝかゝる也土の除場(のけば)いづれも二丁半づゝ有時一日に八里あゆみにして 此普請日数何程に仕廻と問答八十五日一時三分二厘也術に底(そこ)はゞ十九間一尺三 寸と置間より下を六五にて割ば十九間二分と成是に上はゞ廿二間半をくわへ 四十一間七分と成に深さ四間半をかけ又長三百八十間をかけ二ツに割三万五千六 百五十三坪半と成に壱 歩(つぼ)の荷数弐百七十五荷をかければ九百八十万〇四千七 百十二荷半と成是に往来(ゆきゝ)の道(みち)五丁をかくれば四千九百〇二万三千五百六十二 丁半也是を一里の法卅六丁にて割ば百卅六万千七百六十五里六二五と成是を 八里にてわれば十七万〇弐百二十人と成を二千人をもつてわれば八十五日一壱と成 此二ばかりに十二時をかくれば八十五日一時三分二厘と知る也 ○  ○まゝ子だての事 ○子三十人あり内十五人は先腹(せんばら)の子十五人は当腹(とうばら)の子なり斯のごとく立(たて)ならべ 【左丁】 十にあたるをのけ又二十に当(あた)るを のけ二十九人まてのけて残(のこ)る 壱人に跡(あと)ゆづらんといふ時(とき)に まゝ母(はゝ)此(かく)のごとく立たる也 扨(さて)かぞふれば先(せん)ばらの子 十四人までのくゆへ一人 残(のこ)り たる子のいふやうは今(いま)一度(いちど) かぞへなば先腹(せんばら)の子みな のくべしあまり片(かた)一双(いつそう)にのく ゆへ今より我(われ)からかぞへゐへと いへば各々(をの〳〵)これにしたがひ 壱人残りたる先腹(せんばら)の子(こ) よりかぞふれば当腹(とうばら)の子 皆(みな)のき先腹(せんばら)の子一人 残(のこ)りて譲(ゆつり)を受(うけ)ると也 【下 子が池をめぐつてならぶ挿し絵】  【岩の文字】   よみ    はじめ     左へよむなり  【旗の文字】   のちはこれより   右へよむなり