翻刻
権中納言定家
来ぬ人を
こぬ人ヲまつは浦ノ塩ヲヤク様ニ身モこかるゝと也まつほ名所也まつほのうらト
いひ出しタルニよりてしほ以下奇特也夕なきハいかにも静なる躰也
万葉ニ長哥アリそれを以てよめり 思い出の折たく柴のと云哥のやう也
こぬ人をまつほト云タガヨキ也もしほのの文字に其様(ソノヤウ)にといふ心にをく所
おほしこゝも其様(ソノヤウ)也夕なきととれる妙也煙の深キ心ヲとれりもしほやく
やうに身もこかれつゝ也此哥心あるへし
従二位家隆
風そよく
寛喜三【詞書きには寛喜元年とあり】年女御入内の屏風によめり 風のそよく楢の葉を秋そと思
へは御祓をするにて夏と知たる也 夕みそきするならの小川。。。。。。
此哥ニテヨメリ ならの小川みそきをしつけたる所也 風のそよくなら
の葉のあたりまことに然へし
後鳥羽院
人もおし
人をおしきとおほしめす故に物をおほしめすほとに又人もうらめしきたゝ
その故ハ世をおほしめす故そと也 漢高祖ノ流涙切_二/丁公_一 噛
牙封_二雍歯_一 此事ヲヒケリ此住紛にノ間略しや■
如此高祖の云テ
侍るそれも何故ソナレハ世ノ為ヲ思フ子細也如此し【?】時ハ人もおし人も
うらめしの哥よく心かよひて面白との事也 平家の裏タルかはりナシハ
武士の勲功ニほこる間一世ノ間此御心アリ忠ある者ハおしく一人の上にも有
へしとり所ある者ニキズモアリ 此院顕徳院と申奉る仁治三年
ニ後鳥羽院ニ改められ侍り
順徳院
百敷や
天下を治られたきかいかにも人の心とは濁ほとに兎角昔は忍ひても〳〵
あまりかあるそと也ふるき軒はの忍ふといひかけたるは昔をいはんとの
作意也
唐太宗以三鏡天下を治るといひし也 銅鏡(アカゝね)【左に「トウキヤウ」】 人鏡(ニンキヤウ)古鏡 昔の事よき
事を手本ニするか古鏡 人鏡ハ人のよき事を似する也太宗の臣下魏徴
と云者死タル時一鏡を失ト太宗の云レシ也ソレヲ万似せラレタル故ニ
一ノ鏡ト也魏徴ハ
唐ノ代ヲ治メタル者ナリ