翻刻
百人一首
定家卿小倉山荘に色紙にをされたり也
右百首は京極黄門小倉山荘色紙和歌也それを世に百人一首と
号する也是を書をろしたは新古今集の撰定家卿の心に叶はす
その故は歌道は古より世を治め民をみちひく教誡の端たりしか
らは実を根本にして花を枝葉にすへき事なるを此集は偏に
花を本として実を忘れたるにより本意をおほさぬなるへし黄門
の心あらはれかたき事を口おしく思ひ給ふ故に古今百人の歌を
撰し我山荘に書をかるゝ物也此撰の躰は実をむねとして花
を聊かねたる也其後後堀河院御時勅を承て新勅撰を撰せ
らるゝ彼集の心此百首と相同かるへし十分の内実は六七分
花は三四分たるへきにや古今集は花実相対の集也とそ後
撰は実過分すとかや拾遺は相過兼たる由をそ御院申されし能 〻
其一集〳〵の建立をみて時代の風をさとるへき事也彼新古今
をは隠岐国にをいて上皇あらためなをさせ給し事御心にも御後
悔の事侍へしされは黄門の心はあきらかなる物也抑此百首の人