デジタルアーカイブ福井の資料を翻刻

コレクション: 松平文庫

温古集 五巻 - 翻刻

温古集 五巻 - ページ 105

ページ: 105

翻刻

【右丁上段】 ふ見よ当時愛国有志は悉く父母妻子に/離(はな)れ家を棄て身を/擲(なけう)ち或 は甘じて獄に/繋(つな)かれ又は刀下の鬼となり此の開明の基を/築(きづ )きた るにあらずや然るに吾々か今日にして此の収穫見ずんば将た 何の面目あつて先の有志即吾々か朋友の/霊(れい)を/慰(ゐ)せんや 又た後世子孫の代に至り今日の吾々を評して如何の語 を下すや必す吾々か/不注意(ふちうゐ)を/責(せ)め/歎声(たんせい)を発するに至る や/疑(うたがひ)なし実に/勉(つと)めすんはあらさるなり幸に我か大輔 の如き/熱心(ねつしん)党ありて吾々を/鼓舞(こぶ)し/頻(しき)りに農工商/衰頽(すいたい)の 挽回を謀り吾々も亦た一昨年以来昼夜を別たす/孜々勉(しゝべん) /励(れい)すと雖とも/曩(さき)に国事に/斃(たを)れたるものに比すれは亦た 大に/耻(はづ)る所あり 偖日本の不景気を回復するは決して難きに非らす各/勤(きん) /勉(べん)して毎人一日弐厘六毛を/積(つ)むときは全国に於て一年 四千万円に至り三ケ年には即ち一億弐千万円の/巨額(きよがく)に /達(たつ)すへし今日我国の国力は一億弐千万円に過きす左れ は僅に三年の/貯蓄(ちよちく)にして已に国力に恰当すへき数年の 久しき之れか貯蓄に従事せは我国/富強(ふうきやう)/幾干(いくばく)そや今日世 人の云ふ所皆資本あれは事業を/興(おこ)し資本あらされは改 良する能はすと之れ何事そや資本は尚肥料の如し/譬(たと)へ 【右丁下段】 は肥料あれは耕すへし肥料あらされは耕すも/益(えき)なしと なすか如し実に無精神と云はさるへからす/畢竟(ひつきやう)今日の /衰頽(すいたい)は此の/無精神(むせいしん)即ち不注意より来■せ■/結果(けつくわ)なり今 其注意の一例を/挙(あ)くるに一時間に為すへきことを半時間 に為す又た一時間に十銭の利ありしも/注意(ちうゐ)以て同時間 に十五銭乃至二十銭を得る亦た甚だ難きに非さるなり 豈に/勉(つと)めさるへけんや        未完 〇前田大書記官 同書記官には去る一日当地晴嵐亭の/旅(りよ) /館(くわん)を/発足(はつそく)後武生へ/着(ちやく)せられその旅館畳屋へ同郡長は申す におよばず/近傍(きんぼう)村々の戸長ならび市中有志者百名ばかり を/招集(せうしう)せられ一場の/演説(ゑんぜつ)あり茶をも/喫(きつ)せられず直ちに出 立せられたるが当県庁よりは塚本庶務課長伊藤勧業課長 の二氏随行して見送られたり聞くところに拠れは南條郡 河野浦より/乗船(じやうせん)して敦賀へ出でそれより滋賀県へ入られ たる由序に訂す前号本県令には武生まで見送られしと記 したれども是は全くの/誤聞(ごぶん)にて当朝晴嵐亭にて別を叙で られしとの事