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【OCRのまま】
寒に浅ましくかなしむへき事此ことに止れり
文政乙酉孟冬朔 山崎美成識
このおくら門経はしめ延宝天和のころ露しか露顕してその
一徒は流刑せられしたり多賀潮古か八丈島へなされしもこの
天明中
故也とそかゝし明和中また盤かになりしをある人天皇明神影を
狂歌をもて
その名聞へたる
とそ憚りてこゝに記さす
より絹にたるはいとめてたし近ころ又富士講といふものあり
寛政中停止せられしか今はなをありさばれこの冨士講の行
者は御廊内はさら也御門にてを過ることをゆるされすとそ【ここまで】
立石村の立石
亀有村の
下総国葛飾郡立石村《割書:亀有村の|近村なり》の元名主芯右衛門か畑の中に
むかしより高さ壱尺はかりの丸き石一つありを此頃《割書:年月|未詳》当時の
あるし新右衛門相はかりてさまて根入りもあるへくも見えす
この石なけれは耕作に便りよし堀出しのときなんとて掘れ
とも掘れとも思ひの外に根入深くてその根を見すとかく
して日も暮けれは翌又掘るへしとてその日は止ぬ翌日
ゆきく見れは堀しほと石はるかに引入りて壱尺はかり出て
ありこは幸のことにこそとてそのまゝ埋て帰りぬ又その次の
日ゆきて見れは石はおのれと抜け出て地上にあらはるゝこと元の