翻刻
呼ひしを誤りて阿別当と今呼ふ也是より
黒嶺山へ登る也道に盃谷銚子谷抔とて深き
谷有是は黒岑の城元朝に落城せし時器を捨
有し故に地名に呼ふといへり絶頂に城跡有東方
に流水有七つ塚とてあり是は落城の時死骸造物
を埋し古塚と見へて今も穿ては兵具出るといへ
り此黒嶺といふ城廓の時は大木茂り黒く見へ
しゆへ名とす東 上戸の領山にて色々旧跡有
上戸三ヶ村の所に記せり西 は寺 村領也又宝
嶺山といへり山の本名にして誠に絶頂に冷水有
薬草其外産物等多きのみか一国はいふに及はす
近国を見落し船の見当となり景内いわんかた
なし実も宝嶺にして内浦鰤 の見当て
となり則宝嶺大権現の社有御神躰白山宮也
此御前は南山村の領也近し権現鍵等は十兵衛と
いふ古き百姓有て支配する也別当は上戸の
光性寺也神主は飯田葛原 也此宝嶺の麓に