能登半島の資料を翻刻!

コレクション: SHOSHO「能登」

能登名跡誌 - 翻刻

能登名跡誌 - ページ 33

ページ: 33

翻刻

呼ひしを誤りて阿別当と今呼ふ也是より 黒嶺山へ登る也道に盃谷銚子谷抔とて深き 谷有是は黒岑の城元朝に落城せし時器を捨 有し故に地名に呼ふといへり絶頂に城跡有東方 に流水有七つ塚とてあり是は落城の時死骸造物 を埋し古塚と見へて今も穿ては兵具出るといへ り此黒嶺といふ城廓の時は大木茂り黒く見へ しゆへ名とす東 上戸の領山にて色々旧跡有 上戸三ヶ村の所に記せり西 は寺 村領也又宝 嶺山といへり山の本名にして誠に絶頂に冷水有 薬草其外産物等多きのみか一国はいふに及はす 近国を見落し船の見当となり景内いわんかた なし実も宝嶺にして内浦鰤 の見当て となり則宝嶺大権現の社有御神躰白山宮也 此御前は南山村の領也近し権現鍵等は十兵衛と いふ古き百姓有て支配する也別当は上戸の 光性寺也神主は飯田葛原 也此宝嶺の麓に