「会津若松市デジタルアーカイブ」公開資料を翻刻

コレクション: 諸士系譜

諸士系譜 巻之226 ま之部7 - 翻刻

諸士系譜 巻之226 ま之部7 - ページ 21

ページ: 21

翻刻

一 同三寅年《割書:月|不詳》去十二月   貞昭様御逝去被遊候ニ付郭内外廻り被 仰付   昼夜相廻り且三ノ丸御仮殿御番をも相勤候事 一 同年十二月組之足軽御長柄之者共去丑三   月中ゟ為寸志御堀浚ニ取懸候ニ付不絶御普請場へ   罷出諸事宜及差図且当八月末ゟ九月初迄   十日之間組々惣出致候節寒移ニ而泥中之業別而   辛労成儀ニ候処子弟召連罷出手卸自身   業をも致組之者共励ニも相成果散行御要害   宜出来候ニ付為御褒美御小袖代絹壱疋綿相添被下置候事 一 同四卯年十一月蝦夷地警固御用被為蒙   仰出ニ付宗谷詰被 仰付候事 一 同五辰年正月出陣ニ付於大書院御目見之   上御暇被下於小書院御流被下其後於大書院御酒   被下候事 一 同月十二日組之者召連爰元出起五月八日宗谷へ   着致候事 一 同年八月十二日宗谷出起十一月廿一日帰着仕候処   於大書院旅服之儘御目見被 仰付   豊国御社へも参拝仕候事

現代語訳

一 文化三寅年(月は不詳)去る十二月に   貞昭様が御逝去されたため、郭内外の巡回を仰せ付けられ、   昼夜巡回し、かつ三の丸御仮殿の御番も勤めた事 一 同年十二月、組の足軽や御長柄の者達が去る丑年三月中から   寸志として御堀浚に取り掛かったため、絶えず御普請場へ   出向き諸事よく指図し、かつ当年八月末から九月初旬まで   十日間、組々総出で行った際、寒気移りで泥中の作業が特に   辛労な儀であったところ、子弟を召し連れて出向き、手ずから自身も   作業を行い、組の者達の励みにもなり、ついに散行御要害が   よく出来上がったため、御褒美として御小袖代の絹一疋に綿を添えて下された事 一 同四卯年十一月、蝦夷地警固御用を   仰せ出されたため、宗谷詰めを仰せ付けられた事 一 同五辰年正月、出陣のため大書院で御目見えの   上、御暇を下され、小書院で御流を下され、その後大書院で御酒を   下された事 一 同月十二日、組の者を召し連れてここを出発し、五月八日に宗谷へ   到着した事 一 同年八月十二日に宗谷を出発し、十一月二十一日に帰着したところ、   大書院で旅服のまま御目見えを仰せ付けられ、   豊国御社へも参拝した事