翻刻
【上段】
●船越村
船越村(ふなこしむら)は東閉伊郡の最南(さいなん)にして船越、田(た)の浜(はま)大浦の三|字(あざ)より成
る全村(ぜんそん)船越湾に臨(のぞ)み漁業を以(もつ)て生活す此地の被害(ひがい)は比較的釜石
に勝(まさ)るとも劣らざるの大惨状(だいさんじやう)にして田の浜(はま)の如きは全部ニ百三
十六戸一戸を余(あま)さず流亡し千三百人中|惨死(さんし)を遂ぐる者九百四十
五人|誰(たれ)か其激烈なるに驚倒(きやうたう)せざるものあらんや家屋(かをく)船舶(せんはく)の破片
は算を乱して湾内(わんない)に漂ひ人の屍、牛馬(ぎうば)の屍其間に交(まぐは)りて腐爛に
任す船越亦山の内と称(しやう)する丘上の小字(こあざ)を残すの外海岸全く破滅
して一物を止(とゞ)めさる田の浜(はま)と同しく同胞(どうはう)及牛馬の屍は砂中各所
より現れ出るも壮丁|全(まつた)く尽きたる事(こと)とて之を如何(いかん)ともする能は
す已むなく破片を集(あつ)めて之を火(や)き此処|彼処(かしこ)に愁煙の異臭を放(はな)つ
を見(み)る
地峡を躍り越ゆ 船越村(ふなこしわん)と山田湾との間(あひだ)には小半島の両湾(りやうわん)を
割断せるありて船越村は一|地峡(ちけふ)の如くなれり然(しか)るに海嘯は十|余(よ)
丈(ぢやう)の高さを以て船越|村(むら)を一掃し去(さ)り更に其地峡(そのちけふ)を躍り踰(こ)えて山
田湾と相通じたれば右(みぎ)の小半島は宛然(ゑんぜん)一孤島の如(ごと)くなりぬ
○計(はか)らさりき我子(わがこ)ならんとは 船越村(ふなこしむら)辺(へん)の漁夫(れうふ)なりとか当日
海上に出漁(しゆつぎょ)し居(を)りしか海嘯(つなみ)ありとは夢にも知(し)らす流れ来る三人
の子供(こども)を救ひ上けしに計(はか)らさりき其(その)一人は我子(わかこ)なりしならんと
は
船越村の飢餓 同村の民家(みんか)は殆んど全滅(ぜんめつ)に帰したるが其僥倖
にして一縷の命(めい)を維(つな)ぎおる遺民も今は食ふに穀(こく)なく寝るに屋な
く其|窮境(きうきやう)実(じつ)に目も当てられぬ光景(くわうけい)なり
●織笠村
織笠村(おりかさむら)は船越村の北(きた)に在(あ)りて山田湾に臨(のぞ)み戸数百九十、人口(じんこう)九
百四十の一|漁村(ぎょそん)なり是亦|海嘯(つなみ)の惨禍に罹(かか)り家屋の倒壊(たうくわい)九十五戸
【下段】
惨死者(さんししゃ)六十五|人(にん)あり
●崎山村
崎山村(さきやまむら)流亡戸数六十五戸、死者(ししゃ)百十五人、負傷者(ふしやうしや)二十名
●磯鷄村
磯鷄村|流失(りうしつ)家屋(かをく)百二十戸、死者八十名、負傷者(ふしやうしや)百余名、船舶(せんはく)は一
隻を残さず悉(こと〴〵)く押(お)し流(なが)されたり其数未詳
●重茂村
重茂村|全村(ぜんそん)流失(りうしつ)片影を止めざるの惨状(ざんじやう)にして死者七百|余名(よめい)其纔
に生存せしもの過半(くわはん)は重傷を負(お)ひて苦悶せり駐在(ちうざい)巡査(じゆんさ)同く災厄
に罹り死亡(しぼう)す船舶は片隻(へんせき)を止めず牛馬(ぎうば)の死せしもの百|頭(とう)以上な
り
●山田町
山田町は戸数(こすう)七百八十六戸の中|潰家(つぶれや)凡三百九十三戸位|浸水(しんすゐ)家屋
前同断位にして死者(ししゃ)凡そ二百名以上|負傷(ふしやう)数知れず
此地は海辺(かいへん)に家屋あり家屋と後山(こうざん)との間に水田(すゐでん)あり海嘯(つなみ)の来襲
するや其|物音(ものおと)を聞きて逃出せるもの水田中(すゐでんちう)に陥ゐりて進退自由
を失へる所へ無惨(むざん)にも激浪(げきらう)渦巻き来りて遠く海中(かいちう)に捲き去りた
るもの多しと
○当日の模様(もよう) 午後八時半 (此地(このち)吏員の時間(じかん)は時計の狂へる
にや皆(みな)相違せり只聞くがまゝを記(しる)す)の頃|大地(だいち)水平動の軽震を
感じて其|時間(じかん)極めて長く而も間断なく九|時半(じはん)頃迄震動したれば
尋常の事に非(あら)ずと思惟して戸外に出(い)でしに大|釜崎(かまさき) (湾口に在り
平日波の当(あた)る音(をと)釜の如く聞ゆ故に名く)の方に当て海(うみ)の鳴るを
聞(き)く然れども平日の音(をと)と違ひてゴー〳〵と一|齊(せい)に継続して鳴る
ゆゑ必ずや海嘯(つなみ)なるべしと思ひ慌(あわ)てゝ人々を喚(よ)び起し早く逃去
らしめんとするうち音は万雷の一|時(じ)に落るが如く恰(あたか)も山の崩る
ゝ勢にて十丈余の激浪(げきらう)矢を射る如く進(すす)み来りしかは俄(にわか)に山に攀
【左頁挿絵四枚、次コマへ】