翻刻
【上段】
ぢ登りしも其時は已(すで)に第(だい)一|回(くわい)の海嘯飯岡の大半(たいはん)を嘗尽したり此
第一回の襲来(しうらい)に逢ふて親(をや)は子(こ)を失(うしな)ひ妻は夫に分(わか)れ兄は弟に離れ
たれば人間(にんげん)の情として早(はや)くも之を救(すく)ひ出さんと直(たゞ)ちに山より降
りし折柄(おりから)第二回の大海嘯(おほつなみ)は木を揉砕くかの響(おと)してバリ〳〵ゴー
〳〵|天(てん)を捲(まい)て来(きた)り飯岡の九分通りと山田(やまだ)の半ばを奪ひ去りぬ悲
鳴は起(おこ)れり叫喚は始(はじ)まれり惨憺|又(また)惨憺(さんたん)而して悲鳴と叫喚は十一
時|頃(ごろ)に至(いた)りて止(や)みぬ
●宮古町
去十五日は旧暦(きうれき)五月節句に当(あた)り市中は菖蒲(せうぶ)飾(かざり)をなし何れも思ひ
〳〵の扮装(いでたち)にて例の浜遊びを為(な)さんと待ち構(かま)へたる甲斐(かひ)もなく
朝来降雨|霏々(ひひ)たりしが午後四|時(じ)に至(いた)り雨漸く収(おさま)りしも晴雲定り
なく七時|半頃(はんごろ)異様(いやう)の地震あり次(つい)て八時十|分頃(ぷんごろ)またもや長き不思
儀なる強震(きやうしん)あるや否や異常(いじやう)なる波音と共(とも)に大海嘯押し寄せ来り
直ちに西南(せいなん)を指して石崎を襲(おそ)ひ北に折れて宮古(みやこ)の東端(たうたん)字光岸寺
を衝き又(また)折(を)れて東部に進み下浜(しもはま)を掃ひ更に転(てん)じて鍬(くは)ヶ崎(さき)を洗へ
り其状|恰(あたか)も球戯の球の進行(しんかう)の如く数回の屈折(くつせつ)にて漸次其勢を殺
がれたれば激濤(げきとう)の高さ一|丈(じやう)二三尺の上に出(い)でず随(したか)つて被害の度
も他に比(ひ)して軽く戸数(こすう)九百八十七|人口(じんこう)六千五百の中(うち)流亡廿三戸
潰家三戸|半(はん)潰家十戸|浸水(しんすい)三百戸|死亡(しぼう)十二名重傷六名あり他町村
に往き居て死亡(しばう)せしもの少(すく)からず
新晴橋の中断 新晴橋(しんせいけう)は宮古川に架(か)する八十八|間(けん)の長橋なり
海嘯の当夜(たうや)河岸(かし)に繋ぎありし材木(ざいもく)其中央を横断(わうだん)して上流に進み
たれば今は橋(はし)の前後(ぜんご)止るのみ
●鍬ヶ崎町
鍬ヶ崎町は宮古(みやこ)町の東に在(あ)り船舶の出入(しゆつにふ)する所なり町長(ちやう〳〵)中川清
祇氏の語(かた)る所(ところ)によれば当日は陰暦(いんれき)の端午なりしを以(もつ)て尋常小学
校長と相談(さうだん)し幻灯会を小学校(せうがくかう)に催せり軈(やが)て幻映十五|枚(まい)に及びし
【下段】
時生徒の一|人(にん)坐(ざ)したるまゝ|小便(せうべん)せしを以て一同を立たしめ便所
に赴かしめんとするや門前(もんぜん)俄(にはか)に騒がしく暫(しばら)くにして海上|鳴渡(なりわた)り
街頭忽ち叫喚(けうくわん)の声を聞(き)きしかば中川氏は慌(あは)てゝ|出(い)でし一|刹那(せつな)海
嘯は猛然(まうぜん)として襲ひ来(きた)りしを以て氏(し)は直(たゞ)ちに引返し門口(かどぐち)に立ち
て生徒を外出(ぐわいしゆつ)せしめざるやう制(せい)し山を踰(こえ)て村役場に来(きた)りし時
は街上海に接(せつ)する所悉く惨禍(さんくわ)に罹りて目(め)も当(あて)られず幸ひにも学
校に留め置(お)きし小兒(せうに)は助かりたれど家(いへ)に在りし多(おほ)くは横死を遂
げたり調査(てうさ)の結果(けつくわ)全戸数百七十四戸の内(うち)ニ百廿四|戸(こ)破壊(はくわい)流亡し
五十三|戸(こ)半潰となり百十五|戸(こ)浸水(しんすい)し人口(じんこう)三千七百八十七人の内
死亡百廿八人|重傷(ぢうしやう)十五人あり船舶(せんぱく)はニ百十六|艘(そう)破壊流亡し尚他
より来りて碇泊(ていはく)せし帆走船|宮瀬丸(みやせまる)外三艘は陸上(りくじやう)高く押上げられ
たり
○派出所と共に流る 市街(しがい)の中央に在(あ)る派出所(はしゆつしよ)にては同時刻
詰合の巡査(じゆんさ)千葉三平氏派出所と共(とも)に流(なが)されしも不思議(ふしぎ)と命を助
かりて現に職務(しょくむ)に励精(れいせい)しつゝあり
○全家の絶滅 鍬ヶ崎にては一|家(か)十三|名(めい)悉く死亡(しばう)して絶滅し
たる家あり今回(こんくわい)の変災には斯る惨害(さんがい)を被りたるもの此地(このち)にも随
分(ぶん)多(おほ)かるべしと云(い)ふ
●田老村
田老(たむら)村は宮古北四里の海浜(かいひん)に在る一|大漁村(だいぎょそん)なり十五日午後七時
卅|分頃(ぷんごろ)二度の地震(ぢしん)あり強からされども震動(しんどう)の時間長し既にして
東北(とうほく)の海中に当(あた)り空砲の如(ごと)き響きを聞くこと三|回(くわい)、村民等始て
異常の事(こと)あるを知りし瞬間時は正(まさ)に八時廿分の頃山(ころやま)の如き激浪
轟々として襲(おそ)ひ来り全村の残らすを浚つて之を背後の高地(かうち)へ持
上げ更(さら)に三回の大激浪(だいげきらう)来りて船舶家屋を粉砕し悉く蒼海の中に
持去れり其勢の激甚(げきじん)なる実に被害地第一の惨状(さんじやう)と為す而て翌朝
迄総計七回の海嘯(つなみ)あり此間五回の地震(ぢしん)を感じたりといふ田老(たろう)は