翻刻
はるや、武田勝頼、武田典厩信豊を将とし、兵八千を以て正貞を救援せり。馬場信房、小山田
信茂、土屋直村、穴山梅雪等、其旌下にありし諸将、長篠城外に至るや、信豊、信茂、直村、
梅雪等は医王寺山、大通寺山、君ケ伏床、姥ケ懐、岩代川の辺に、信房は内金二ツ山に陣して
徳川勢と数度の交戦をなせば、元康これを聞き再び兵を率いて、来りて之を激へ討つ。一日武
田の将、天野宮内左衛門景貫父子、背後より久間の砦に徳川勢を襲ひければ、八月八日元康状
兵を設け、松葉を焚き、退陣を装ひて敵を誘ふ。馬場信房其煙色を見て謀計なるを悟り、兵を
動かすことなく、為に伏兵起るの機なかりき。後八月二十日城主正貞到底城の維持すべからざ
るを思ひ、搦手より吉村を経て鳳来寺に退きければ、援兵も亦黒瀬にと退きけり。こゝに於て
元康も亦浜松へとかへりたり。元康浜松にかへりて、城開城となるに及び、正貞再び之を築城
して之に移れり。元康窃かに牧野康成、戸田志次を以て、正貞に復属を誘ひければ、正貞一族
評議の上満直の異議を退けて再び元康に帰し、元康自筆の誓詞を享く。田峯菅沼氏これを知り
勝頼に告げければ、勝頼其真偽を訊さん為に正貞を召して、これを信濃国小諸に監し、兵を遣
し、城内を捜索す。正貞の士浅井半兵之を正貞の室(令閨)に通しければ、正貞の室誓詞を火燵
に投じ、幼児を擁して城を去りたり。こゝに於て元康奥平弥九郎影忠を城番に仕じ、次いで松
平又七郎家忠をこれに加へ、越えて天正三年二月奥平貞昌を城主となせり。此年五月武田勝頼、
甲斐、信濃、上野の兵一万五千を率ひて包囲す。これ世に名高き長篠合戦なり。この時城兵僅
に五百余人なれど、貞昌よく防ぎて下らず、十四日に至り、尽忠鳥居勝商、死を以て岡崎に援
を乞ひければ、松平元康、信長と共に進軍し来り、連合軍を以て、武田勢を打ち破り、奥平九
八郎一族を救援せり。
鳶 巣 山 砦
所在地 南設楽郡鳶巣山々中
天正三年五月、長篠包囲の時、武田勝頼の築きたる附城にして、武田兵庫助信実を守将とし二
百五十人にてこれを守らしむ、此時織田信長長篠表に着し、極楽寺山に本陣を据え、軍議を為
す。徳川家康の重臣酒井忠次、進み出でゝ献策をなせしが、信長努つてこれを聞かず、夜に入
り窃に使を家康に遣し忠次を召しければ、家康直に忠次を同道して信長に謁す。信長、忠次に
云つて曰く、今日の汝の進言至極道理なるも、満座の諸士中、敵に内通するものあるを恐れ、
詐り叱し汝を退けたり。今夜急ぎ先陣して鳶巣を襲ひ、敵を討ち尽さば、明朝の勝利疑なしと
云ひ、御感の余り、予て秘蔵の忍轡をば賜りたり。忠次面目を施して退出し、直に鳶巣に向ふ。