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鴨 ケ 谷 城
所在地 南設楽郡作手村大字鴨ケ谷
奥平伯耆守水心の居城なり。
石 橋 城
所在地 南設楽郡作手村大字清岳字寺屋敷
石橋弾正久勝本名奥平の居城なり。
古 宮 城
所在地 南設楽郡作手村大字清岳字宮山
武田の老臣馬場信房の築城せるものなりと云ふ。
中 市 場 城 (大野田城)
所在地 南設楽郡千郷村大字野田字幹徳
城所浄古斉の居城にして、城所氏は富永氏に仕へ、富永氏菅沼竹千代をして遺蹟相続をなさし
むるに及び、田峯に至り一時廃墟となれるも、後永禄年中菅沼新八郎定盈、徳川家康の許を得
てこれを修営してこゝに居城せり。元亀二年四月信玄大兵を率ひ、西三河の北部に侵入し、足
助地方を略し、武田典厩信豊、馬場信房、保科弾正昌清、松田清左衛門等をしてこれが壓へた
らしめ、自ら山縣昌景、小笠原掃部、根木市兵衛等の諸将を率ひ、田峯城主菅沼刑部定吉、長
篠城主菅沼伊豆守正定等を先陣として作手郷より夜を徹して不意に当城を襲はんとせり。菅沼
刑部伊豆守正定共に野田菅沼の一族なるを以て、新八郎を攻める意なければ、窃に新八郎にそ
の意を告げ、且つ諌めて曰く、城壁完からず、少数の城兵を以て大軍を防がん事、策の得たる
所にあらざれば、早々退却あるべしと。新八郎これを聞きて心ならずも、引き退くべきに決せ
り。此のときすでに敵の大兵攻め寄せたれど、定盈自若として諸事を弁じ、馬に打乗りて南曲
輪より出でけるも、左右を顧み小姓中山与六をして城に火を放たしめ且つ、愛鷹を携へ来るべ
きことを命じければ、与六意を奉じ城にかへり火を放ち、秘蔵の鷹は阿坂九右衛門の臂に据え、
定盈の後を追ふも、やがて海倉の淵に至るや、菅沼刑部の一隊と交戦し享年十八歳にて討死し
けり。
新(しん) 城(じやう) 城
所在地 南設楽郡千郷村大字石田字万福
天文元年菅沼大膳亮定継の築くところにして、其弟十郎定氏城将たる時、永禄五年今川氏親の