翻刻
以て城代と為すも、天文六年、さきに敗戦して大崎に退きし戸田金七郎、伝兵衛を追うて再び
当城を奪ふ。やがて今川氏の擡頭となり天文十五年十月義元、天野安芸守をして当城を攻撃せ
しため、金七郎敗北、十一月二十四日今川氏のものとなれり。これより吉田城と呼ばれ、天野
安芸守、朝比奈筑前守輝勝、伊東左近将監、小原肥前守鎮実等相次いで城代たり。永禄七年徳
川家康当城を攻めて、六月小原氏を敗走さす。よりて家康、酒井忠次を城主となす。天正十八
年池田輝政、豊臣秀吉に従つて北條征伐を為し、戦功ありしかば、秀吉当城を輝政に賜ふ。慶
長五年十月池田氏姫路に移りし後は、徳川氏その譜代を当城に拠らしむ。
喜 見 寺 砦
所在地 豊橋市新銭町
永禄七年五月十三日徳川家康吉田城攻撃の際、築くところにして、鵜殿八郎三郎長凞をして、
これを守らしむ。
雉 子 山 城
所在地 豊橋市高師町
寛正年間此地の地頭富田弾正の居城にして、後黒田右門の居城たり。
草 間 城
所在地 豊橋市向草間町
芳賀入道禅可が末孫芳賀七郎の居城にして今川氏に属せり。後畔田監物の居城となれり。
大 津 城
所在地 渥美郡老津村城山
文明七年七月戸田左衛門尉宗光当城に拠り、又彦坂小刑部の居城ともなれり。後永禄七年八月
戸田三郎右衛門忠次徳川徳川氏に属して此に居住す。
波 瀬 城
所在地 渥美郡波瀬村
渡部弥市郎の居城にして、後同彦太夫紀州家に仕へ高千石を領す。
杉 山 城
所在地 渥美郡杉山村
杉浦右衛門太夫、杉山久助俊輝の居城なり。
小 塩 津 城