翻刻
【右丁】
鎌倉仏師(かまくらふつし)の作(さく)なりといへり《割書:斎藤伊勢守(さいとういせのかみ)二 親(しん)菩提(ほたい)の為(ため)と記(しる)してありとそ|此(この)斎藤(さいとう)といへるは代(よ)々 鎌倉(かまくら)に仕(つか)へて斎藤禅門(さいとうせんもん)》
《割書:浄円(しやうゑん)か裔(えい)|なりといへり》門(もん)の内(うち)に沙門(しやもん)正元坊(しやうけんはう)か造立(さうりふ)する所(ところ)の銅像(とうさう)の地蔵尊(ちさうそん)あり
《割書:江戸六地蔵(えとろくちそう)の第(たい)二 番目(はんめ)なり》
護本山(こほんさん)天龍寺(てんりうし) 同所 追分(おひわけ)より南(みなみ)の方(かた)甲州街道(かうしうかいたう)の左(ひたり)にあり
済家(さいか)の禅崫(せんくつ)にして本尊(ほんそん)千手観音(せんしゆくわんのん)開山(かいさん)は舂屋和尚(きうおくおしやう)なり当寺(たうし)
其先(そのせん)は遠州(ゑんしう)の天竜川(てんりうかは)の辺(へん)にありしを後(のち)江戸(えと)に迁(うつ)し牛込(うしこみ)に
ありしか天和(てんわ)三年癸亥二月十六日 火災(くわさい)にかゝり竟(つひ)に此地(このち)に引(ひか)れ
たり《割書:延宝(えんはう)の江戸図(えとつ)に依(よつ)て考(かんか)ふるに今(いま)の牛込(うしこみ)御徒歩町(おかちまち)の|西(にし)馬場(はゝ)のある地(ち)其(その)旧跡(きうせき)にして今(いま)も元天龍寺前(もとてんりうしまへ)といへり》境内(けいたい)に地蔵(ちさう)
堂(たう)と観音堂(くわんおうたう)有(あ)り又(また)構(かまへ)の内(うち)に一里塚(いちりつか)有(あ)り
鮫河橋(さめかはし) 紀州公(きしうこう)御中館(おんなかやかた)の後(うしろ)西南(にしみなみ)の方(かた)坂(さか)の下(した)を流(なか)るゝ小溝(こみそ)に
架(わた)すを云(いふ)今(いま)此辺(このへん)の惣名(さうみやう)となれり里諺(りけん)に昔(むかし)此地(このち)海(うみ)につゝき
たりしかは鮫(さめ)のあかりしゆゑに名(な)とすといへ共 証(しやう)とするにたらす
《割書:或人(あるひと)云(いは)く天和(てんわ)二年 公家(くけ)の御記録(おんきろく)に上一木村(かみひとつきむら)鮫(さめ)か橋(はし)とありと云々 然時(しかるとき)は此(この)|辺(へん)も一木(ひとつき)の内(うち)なりとおほし又(また)佐目河(さめかは)に作(つく)る《振り仮名:千駄ケ谷|せんたかや》寂光寺(しやくくわうし)鐘(かね)の銘(めい)に鮫(さめ)か|村ともあり》
【枠外】 三ノ百四十一
【左丁】
鮫(さめ)か橋(はし)
鳥の跡
淋しさや
友なし
千鳥
声せすは
何に
心を
なくさめ
か
はし
茂睦翁
【看板】
■上■■
【暖簾】
御誂向
■■■
大のや