翻刻
【右丁】
《割書:鳥の跡| さひしさや友なしちとり声せすは何に心をなくさめかはし 茂睡》
永固山(えいこさん)一行院(いちきやうゐん) 鮫河橋(さめかはし)の西(にし)の方(かた)千日谷(せんにちたに)に在(あ)り浄土宗(しやうとしう)にして
開山(かいさん)は源蓮社本譽利覚和尚(けんれんしやほんよりかくおしやう)といふ慶長年間(けいちやうねんかん)草創(さう〳〵)す昔(むかし)は
僅(わつか)の草庵(さうあん)なりしを永井家(なかゐけ)開基(かいき)して一宇(いちう)の浄刹(しやうせつ)とす開(かい)
山(さん)利覚和尚(りかくおしやう)は則(すなはち)永井信濃守尚政(なかゐしなのゝかみなほまさ)に仕(つか)へけるか剃染(ていせん)して
此地(このち)に庵(あん)をむすひ千日(せんにち)の間(あひた)常行(しやうきやう)念仏(ねんふつ)をす結願(けちくわん)の時(とき)千日(せんにち)
不退転(ふたいてん)の回向(ゑかう)を勤(つと)む依(よつ)て道俗(たうそく)群集(くんしふ)せしより千日寺(せんにちてら)と
唱(とな)へ又(また)此所(このところ)を千日谷(せんにちたに)と呼(よ)ふとなり《割書:紫(むらさき)の一本(ひともと)といへる冊子(さうし)にさめか|橋(はし)を渡(わた)り信濃原(しなのはら)へ行(ゆく)谷(たに)を千(せん)》
《割書:日谷(にちたに)といふとあり永井家(なかゐけ)の屋敷(やしき)ある故(ゆゑ)なるへし今(いま)は信濃町(しなのまち)といひ又(また)永井原(なかゐはら)とも云と云々》
阿弥陀仏銅像(あみたふつとうさう) 権太原(こんたはら)浄家(しやうけ)長禅寺(ちやうせんし)境内(けいたい)に在(あ)り高(たか)さ五尺
はかり仏像(ふつさう)の脊(せ)に応永(おうえい)十四年丁亥八月廿五日と彫付(ほりつけ)てあり
旧(むかし)東本願寺(ひかしほんくわんし)の仏(ほとけ)にて大坂(おほさか)の御城内(こしやうない)にありしを寛永(くわんえい)の頃(ころ)
江戸(えと)に移(うつ)し当寺(たうし)に安置(あんち)せり
【枠外】 三ノ百四十二
【左丁】
権太原(こんたはら)
長禅寺(ちやうせんし)
【四角囲い文字】
本堂