東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之9 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之9 - ページ 34

ページ: 34

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【右丁】  二王門(にわうもん)《割書:石階(せきかい)の中腹(ちゆうふく)にあり金剛密迹(こんかうみつしやく)の二 像(さう)を置(おく)作者(さくしや)未詳(いまたつまひらかならす)|堂材(たうさい)は古(いにしへ)のことにして旧地(きうち)は半丁あまり南(みなみ)にあり》  続日本紀聖武紀曰 天平十九年十一月己卯詔天   下諸国国別令造金光明寺法華寺下畧  延喜式弟【第】二十六巻曰 武蔵国正税公廨各四十万   束国分寺料五万束薬師寺料四万二十束梵釈四   王料七千七百束云々  東鑑曰 建久五年  十一月二十七日  近国   一宮并国分寺可修復破壊の旨被仰下云々  同書曰 寛喜三年  五月五日  任綸旨於国   分寺可転読最勝王経之由被仰下関東御分国々   行然奉行之云々   《割書:たのもしな世を祈れとて定めつゝ国を分てる寺の数〳〵 称名院》  二王門旧跡(にわうもんのきうせき)《割書:寺前(しせん)半町あまりを隔(へた)てゝ南(みなみ)の方(かた)の|畑(はた)の中(うち)に其(その)礎石(いしすゑ)を存(そん)せり》  層塔旧跡(そうたふきうせき)《割書:国分寺(こくふんし)の少(すこ)し東南(ひかしみなみ)半丁あまりを隔(てた)てゝあり草樹(さうしゆ)繁茂(はんも)する|所(ところ)の少(すこ)しの岡(をか)なり方九尺はかり六 角(かく)に礎(いしすゑ)を居(すゑ)たり往古(そのかみ)其塔(そのたふ)》  《割書:の中真(ちゆうしん)を収(をさめ)たるものなりとて中(うち)に径(わたり)三尺はかり石(いし)にて畳(たゝみ)たる空穴(くうけつ)ありて|内(うち)に水(みつ)をたゝへたり》  古瓦(こくわ)《割書:二王門旧跡(にわうもんきうせき)の辺(あた)り数百歩(すひやくほ)の間(あひた)往(いにしへ)の古瓦(ふるかはら)の破砕(はさい)せるものあり皆(みな)堅密(けんみつ)|にして形(かたち)全(まつた)からすといへとも文綵(ふんさい)奇(き)にして国分寺(こくふんし)の古(いにしへ)大伽藍(たいからん)なり》   《割書:し事 想像(おもひやる)にたれり其地(そのち)にして得(え)たる古瓦(こくわ)の中(うち)武蔵国郡(むさしのこくくん)の名(な)を|印(いん)せしものこゝに其形(そのかたち)を挙(あけ)て證(しよう)とす》 【枠外】 三ノ百六十五 【左丁】 那珂郡(なかこほり)   秩父(ちゝふ)郡    比企(ひき)郡 榛沢(はんさは)郡    大里(おほさと)郡