翻刻
【右丁】
豊島郡(としまこほり) 荏原(えはら)郡
埼玉(さいたま)郡 男衾(をふすま)郡
旛羅(はたら)郡
【枠外】 三ノ百六十六
【左丁】
国分寺碑(こくふんしのひ)《割書:薬師堂(やくしたう)の前(まへ)右(みき)の方にあり碑文(ひふん)は服元雄中英先生(ふくけんいうちゆうえいせんせい)撰(えら)む|書(しよ)は河保寿(かほうしゆ)にして当寺(たうし)法印(ほふいん)賢盛(けんせい)建(たつ)る所なり》
当寺(たうし)往古(そのかみ)源頼義朝臣(みなもとのよりよしあそん)同 義家朝臣(よしいへあそん)奥州征伐(あうしうせいはつ)発向(はつかう)の頃(ころ)も
当時(たうし)【寺ヵ】へ入給ひ其頃(そのころ)は盛大(せいたい)の寺院(しゐん)なりしと云あまたの星霜(せいさう)を
経(へ)て元弘(けんこう)の兵火(ひやうくわ)に亡(ほろ)ひしを新田家(につたけ)にて再興(さいこう)ありしも兵革(へいかく)の
世(よ)終(つひ)に古(いにしへ)に復(ふく)す事なし然(しかる)に宝暦年間(はうりやくねんかん)権大僧都(こんたいそうつ)法印(ほふいん)
賢盛(けんせい)衆縁(しゆうえん)を募(つの)り新(あらた)に医王閣(ゐわうかく)を営建(えいこん)し傳(つた)ふる所(ところ)の灵像(れいさう)を
安(あん)して霊跡(れいせき)を表(へう)す今(いま)古伽藍(こからん)の礎石(いしすへ)のみ厳然(けんせん)として田間(てんかん)
阡陌(せんはく)の間(あいた)に埋(うつも)れて懐旧(くわいきう)情(しやう)を催(もよほ)せり《割書:此(この)寺前(しせん)畑(はたけ)の中(なか)にかつたい塚(つか)|かうかけ場(は)なと字(あさな)する地(ち)》
《割書:あり或人(あるひと)云かつたいは乞食(かつたい)かうかけ場(は)は頸掛場(かうかけは)なるへしと依(よつ)て按(あんする)に古(いにし)へ合戦(かつせん)の|後(のち)敵方(てきかた)の首級(しゆきう)を掛(かけ)し地(ち)なれは其傍(そのかたはら)に乞食(こつしき)なと住居(ちゆうきよ)してありしならん
歟(か)》
富士見塚(ふしみつか) 国分寺(こくふんし)より西(にし)の方(かた)五町 斗(はかり)を隔(へた)つ此所(このところ)に登(のほ)れは一瞬(いつしゆん)千(せん)
里(り)殊(こと)に奇観(きくわん)たり東(ひかし)は浩茫(かうほう)として限(かき)りなく天涯(てんかい)はるかに地(ち)に
接(せつ)するを見(み)るのみ中秋(ちゆうしう)の夕月(ゆふへつき)のあかきには草(くさ)より出(いて)て草(くさ)に入(いる)の
古詠(こえい)に古(いにしへ)を想像(おもひやられ)て感情(かんしやう)少(すくな)からす此故(このゆゑ)に幽人(いうしん)騒客(さうかく)こゝに来(きたり)て