「会津若松市デジタルアーカイブ」公開資料を翻刻

コレクション: 諸士系譜

諸士系譜 巻之50 に之部1 - 翻刻

諸士系譜 巻之50 に之部1 - ページ 15

ページ: 15

翻刻

  罷下候事 一 同十三辰年十月江戸為勤番罷登翌巳   五月御供ニ而罷下候事 一 同十四巳年七月忰助之進旧冬病死仕候ニ付   次男織之丞嫡子ニ仕度旨被任願候事 一 同十五午年五月御供為勤番罷登同十月   罷下候事 一 同年八月今度御小性頭三人ニ被 仰付御馬方   支配多ク相成候ニ付先達而内願仕候通御馬方   支配御用捨被成候只今迄精出宜相勤候段被   仰出候事 一 同十六未年四月病気不相勝難義仕候間   御役御赦免被成下度旨達 御聴候処御下向   前も近く候間先ツ是迄之通相勤候様被   仰出候事 一 宝永元申年四月御供為勤番罷登同十   月罷下候事 一 同年十二月当御役儀御用捨被成下度旨先   達而願申上候処先ツ可相勤旨被 仰出候多年   律義ニ相勤未老年と申ニも無之候へ共近年

現代語訳

江戸から帰参した。 一 同十三辰年(宝永元年、1704年)十月、江戸勤番のため登府し、翌巳年五月に御供として帰参した。 一 同十四巳年(宝永二年、1705年)七月、嫡男助之進が前年冬に病死したため、次男織之丞を嫡子にしたい旨を願い出て許可された。 一 同十五午年(宝永三年、1706年)五月、御供勤番のため登府し、同年十月に帰参した。 一 同年八月、今回御小性頭三人が任命されたため、御馬方支配の人数が多くなったので、先日内願したとおり御馬方支配の職務を免除されることになった。これまで精勤してきた旨が申し渡された。 一 同十六未年(宝永四年、1707年)四月、病気が回復せず困っているので、役職を免除してほしい旨を申し上げたところ、御下向(藩主の帰国)も近いので、まずはこれまでどおり勤務するようにと申し渡された。 一 宝永元申年(1704年)四月、御供勤番のため登府し、同年十月に帰参した。 一 同年十二月、現在の役職を免除してほしい旨を先日願い出たところ、まずは勤務を続けるようにと申し渡された。多年にわたって律義に勤務し、まだ老年というわけでもないが、近年は