東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之16 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之16 - ページ 11

ページ: 11

翻刻

【右丁】  《割書:し応永(おうえい)に至り建立(こんりふ)成就(しやうしゆ)すとあり然れは名所記(めいしよき)等(とう)の書に天慶(てんけい)中 安房守(あはのかみ)平公雅(たいらのきんまさ)観音堂(くわんおんたう)再興(さいこう)のとき|一躯(いつく)の鳬鐘(ふしやう)を鋳(い)てたかく一楼(いちろう)にかくるとあるは永和(えうわ)の回録(くわいろく)に亡(ほろ)ひたる鐘(かね)の事にして至徳(しとく)四年に至(いた)り》  《割書:再(ふたゝ)ひ今ある所の洪鐘(こうしやう)を鋳冶(とうや)せしとしるへし至徳(しとく)四年は嘉慶(かけい)と改元(かいけん)の年なり|》    日本国武州豊島郡千束郷金龍山浅草寺洪鐘銘    《割書:並》序    夫鐘者震梵苑之枯禅発騒檀之深省者矣南閻浮    提各以音声長為仏事西郡勝地特開榛莾剏此道    場於是傳法聊持短■【疏ヵ】勧発善縁新鋳鳬乳之鐘永    扣龍沢之月耳根契證者速趨解脱之門庭眼裏聞    声者則■【護ヵ】円通之妙果当時若不記者後代誰得識    哉銘曰    末鋳成前 響隔九天 新鋳成後 福応大千    規摸脱出 当空高懸 軽軽撞着 堕仏事辺    至徳《割書:二|二》年《割書:丁|卯》五月初三日              大勧進僧都海誉              小勧進大和国道高               鋳工和泉守経宏  三社大権現(さんしやたいこんけん)社《割書:本堂より艮(うしとら)の方にあり土師臣中知(はしのをみなかとも)ならひに家人(けにん)檜前浜成(ひのくまのはまなり)武成(たけなり)等(とう)の霊(れい)を配(あわ)せ崇(まつ)|祠(る)則(すなはち)当寺(たうし)の護法神(こほふしん)とす世(よ)に三処(さんしよ)の護法(こほふ)ともいへり神体(しんたい)は慈覚大師(しかくたいし)の作(さく)とそ当社(たうしや)》  《割書:は浅草(あさくさ)の惣鎮守(そうちんしゆ)にして祭礼(さいれい)は三月十八日 隔年(かくねん)に執行(しゆきやう)あり三社(さんしや)の来由(らいゆ)は本尊縁起(ほんそんえんき)の中(うち)に詳(つまひらか)なれは|こゝに略(りやく)す傍(かたはら)の堂(たう)に荒沢不動尊(あらさはふとうそん)歓喜天(くはんきてん)等(とう)を安置(あんち)す》  額(かく)《割書:三社大権現|》随喜楽院(すいきげうゐん)【注】一品公遵法親王(いつほんこうそんほふしんわうの)真蹟(しんせき) 熊谷稲荷(くまかやいなり)祠《割書:本堂の後(うしろ)の方(かた)に|あり熊谷(くまかや)安(やす)左衛門と》  《割書:いへる人 勧請(くわんしやう)す来由(らいゆ)は繁(しけき)をいとひてこゝに略(りやく)す|内陣(ないちん)に狩野周信(かのちかのふの)筆(ふて)の橋弁慶(はしへんけい)の掛絵(かけゑ)あり》十社権現(しつしやこんけん)祠《割書:同所左の方にあり十人(しふにん)の草刈(くさかり)を鎮(まつ)ると|いへり来由(らいゆ)は本尊縁起(ほんそんえんき)の条下(てうか)につまひらか也》 【左丁】  念仏堂(ねんふつたう)《割書:同所にあり阿弥陀如来(あみたによらい)を本尊(ほんそん)とす|昼夜二六時中に念仏(ねんふつ)を唱(とな)ふ》閻魔堂(えんまたう)《割書:本堂の乾(いぬゐ)の方にあり閻魔堂(えんまたう)像(そう)|は運長(うんちやう)の作(さく)なり毎年正月七月》  《割書:十六日 参詣(さんけい)群(くん)をなせり額(かく)に閻王殿(えんわうてん)と|あるは朝鮮国(てうせんこく)真狂金啓升(しんきやうきんけいしよう)の筆(ふて)なり》脱衣婆像(たつえはのさう)《割書:同堂中にあり慈覚(しかく)大士の作|にして霊験(れいけん)あり》地蔵古碑(ちさうのこひ)  《割書:同所井の傍(かたはら)にあり世に長石地蔵(なかいしちさう)と云又 俗(そく)誤(あやまつ)て小野小町(をのゝこまち)か石塔(せきたふ)とも称(しよう)し弘法(こうほふ)大師の作(さく)なりとも|いへと共(とも)に誤(あやま)れり長(なかさ)壱丈余 潤(ひろ)さ壱尺六寸程 厚(あつ)み二寸はかりあり寛保(くはんほ)二年八月の暴風(はうふう)に吹折(ふきをれ)》  《割書:て今三 段(たん)となれり上の方は伝法院構(てんほふゐんかまへ)の中(うち)稲荷(いなり)の叢祠(みや)の傍(かたはら)にあり其(その)形状(ありさま)上に地蔵薩埵(ちさうさつた)の種字(しゆし)を|鐫(ゑり)中段(ちゆうたん)に立像(りふさう)の地蔵尊(ちさうそん)を刻(こく)す側(かたはら)に沙門(しやもん)是(これ)を敬礼(きやうらい)する体相(ていさう)あり又下の方に花瓶(はなかめ)に蓮花(れんけ)を挿(さしはさみ)其》  《割書:左右に文字(もんし)三十有九字を鐫(せん)す其文に云く|》    右志者四殊由三昧沙弥西仏先妻女並男女二子    為一殊四弥西仏現当二世諸願円満西仏敬白   《割書:按(あんす)るに西仏(さいふつ)と称(しようす)る者(もの)三人ありて是非(せひ)をしらす其一(そのひとつ)は法然(ほふねん)上人の弟子(てし)に頓宮(とんくうの)内藤(ないとう)五郎兵衛|盛政入道西仏(もりまさにふたうさいふつ)又其 二(ふたつ)は海野幸親(うんのゆきちか)の男(なん)蔵人通広(くらふとみちひろ)世に太夫坊覚明(たいふはうかくめい)と云 是(これ)なり後(のち)親鸞(しんらん)上人》   《割書:の弟子(てし)となりて西仏(さいふつ)と号(かう)す又其 三(みつ)に東鑑(あつまかゝみ)建長(けんちやう)五年八月廿日 下総国(しもつふさのくに)下河辺庄(しもかうへのしやう)の堤(つゝみ)を築(つき)|固(かたむ)へき由(よし)沙汰(さた)あつて奉行(ふきやう)人を定(さため)らるゝといへる条下(てうか)に鎌田三郎入道西仏(かまたさふらうにふたうさいふつ)といへる名(な)を挙(あけ)たり》   《割書:かくのことく同名(とうめい)三人まてあれはいつれを是(せ)とすへきや碑面(ひめん)年号(ねんかう)を記(き)せされは詳(つまひらか)に定(さため)かたし猶(なを)後人(こうしん)の訂正(ていせい)|を竢(まつ)といふ》  護摩壇之趾(こまたんのあと)《割書:同所 熊野権現(くまのこんけん)の後(うしろ)の方 垣(かき)の中にあり淳和帝(しゆんわてい)天長(てんちやう)年間 慈覚(ちかく)大師 東国(とうこく)|遊化(いうけ)の路次(ついて)適(たま〳〵)当寺に宿(やと)り宝前(はうせん)に持念(ちねん)するのあひた三社権現(さんしやけんけん)の霊示(れいし)ありけれは》  《割書:伽藍(からん)を再営(さいえい)ありて永(なか)く止観(しくわん)の法灯(ほうとう)をかゝけ中興(ちゆうこう)の大祖(たいそ)と称(しよう)す此(こん)とき一千 座(さ)の護摩(こま)を修(しゆ)し|》  《割書:伽藍 人法(にんほふ)の繁栄(はんえい)を祈(いの)り給ひし|よし坂東順礼記(はんとうしゆんれいき)に出たり》護国殿(ここくてん)《割書:同所にあり五大明王(こたいみやうわう)の像(さう)ならひに自然木(しせんほく)の|多聞天(たもんてん)等(とう)を安置(あんち)す此 堂(たう)は往古(むかし)淡島明神(あはしまみやうしん)の地(ち)に》  《割書:東照大権現(とうせうたいこんけん)の御宮ありし頃(ころ)の護摩堂(こまたう)たりしか寛永(くわんえい)十九年二月の炎上(えんしやう)に焼残(やけのこ)りけるをその|儘(まゝ)【侭は略字】此所へ遷(うつ)しけるとそ此 故(ゆへ)に柱(はしら)其外にも葵(あふひ)の御紋(こもん)を附(つけ)たり》  淡島明神(あはしまみやうしん)社《割書:本堂の左の方にあり昔(むかし)此地に  東照大権現(とうせうたいこんけん)の御宮ありしか寛永(くわんえい)十九年|二月十九日門前より出火(しゆつくは)す其 時(とき)にあたつて 御宮(おんみや)焼亡(せうはう)ありしに依(よつ)》 【注 「随喜楽院」は「随宜楽院」ヵ】