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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之16 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之16 - ページ 14

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【右丁】  《割書:御城内(こしやうない)紅葉山(もみちやま)へ 御遷坐(こせんさ)ありて其跡へ此 神(かみ)を勧請(くわんしやう)す其 御 宮(みや)ありし地(ち)はこの淡島明神(あはしまみやうしん)の|後(うしろ)の方なり人の踏(ふま)ん事を恐(をそ)れて垣(かき)を結廻(ゆひまは)してあり傍(かたはら)の六角堂(ろくかくたう)に地蔵尊(ちさうそん)を安(あん)す是(これ)も》  《割書:御宮(おんみや)ありし頃(ころ)の御供水(こくうすい)にして則(すなはち)堂(たう)の下は井(ゐ)なり又社前の石橋(いしはし)も其 儘(まゝ)に存(そん)せり傍(かたはら)の小祠(こほこら)なる|石(いし)の蛭子(ゑひす)大黒(たいこく)の両像(りやうさう)はともに弘法(こふほふ)大師の作(さく)なりといへり》  銭塚弁財天(せにつかへんさいてん)祠《割書:同所にあり来由(らいゆ)銭瓶(せにかめ)|弁天(へんてん)の条下(てうか)に詳(つまひらか)なり》例幣使松(れいへいしのまつ)《割書:同所 御手洗(みたらし)池のかたはらにありて垣(かき)|をめくらせり毎歳(まいさい)四月十七日 日光(につくはう)御祭(こさい)》  《割書:礼(れい)に依(よつ)て例幣使(れいへいし)参向(さんかう)のとき昔(むかし)よりのならはせにて帰洛(きらく)の日はかならすこの地にて休息(きうそく)あり往古(むかし)は|此所に  御宮(おんみや)ありし故にかくのことしとそ今猶 旧例(きうれい)によつてしかり》  西宮稲荷祠(にしのみやいなりのみや)《割書:山門の前右の方にあり当山 地主(ちしゆ)の神(かみ)にして 浅草(あさくさ)の鎮守(ちんしゆ)なりかたはらに蛭子(ゑひす)|祠(みや)ある故(ゆへ)に此号(このな)あり是(これ)を上千束稲荷(かみせんそくいなり)と称(しよう)す下谷(したや)龍泉寺村(りうせんしむら)にあるところの》  《割書:稲荷(いなり)を下千束(しもせんそく)稲荷といへりとそ紫銅(からかね)の華表(とりゐ)の額(かく)に稲荷大明神とあるは大明院公弁法親王(たいみやうゐんこうへんほふしんわう)の真蹟(しん[せ]き)|なりといへり旁(かたはら)の祠(やしろ)に頓阿法師(とんあほふし)の作(さく)の人丸(ひとまる)の神像(しんさう)を安(あん)す又同し左の方に石地蔵(いしちさう)あり祈願(きくはん)あ》  《割書:るもの因果(いんくは)をもつて念(ねん)す故に因果(いんくは)|地蔵(ちさう)の称(しよう)あり霊験(れいけん)尤いちしるし》平内兵衛像(へいないひやうゑのそう)《割書:二王(にわう)門の前(まへ)右の方にあり平内兵衛は|兵藤氏(ひやうとううち)なり耳底(にてい)記といへる書にむかし》  《割書:青山主膳(あをやましゆせん)といへる人の家士(かし)にして強勇(きやうゆう)の人なりと云云 後年(のち)石平道人正三(せきへきたうしんしやうさん)《割書:鈴木|九太夫》の門人となりて大に|禅学(せんかく)を修(しゆ)す則此 石像(せきさう)も二王座禅(にわうさせん)の体相(ていさう)にして平内兵衛 生前(しやうせん)にみつから造立(さうりふ)せりとそ世に粂平内(くめのへいない)と》  《割書:称(しよう)するは大(おゝい)なるあやまりなり駒込(こまこみ)海蔵寺(かいさうし)墳墓(ふんほ)夫婦同会(ふうふとうくわい)の碑面(ひめん)に兵藤氏無関一索居士(ひやうとううちむくわんいつそこし)粂氏(くめうち)|松室瑩寿大姉(しようしつえいしゆたいし)とあれは平内兵衛は兵藤氏なる事あきらけし恐(をそ)らくは妻女(さいしよ)の氏(うち)をもつて混雑(こんさつ)せしものならん》銭瓶(せにかめ)  弁財天(へんさいてん)社《割書:山門の前右の方 池(いけ)の中島(なかしま)小山(こやま)の上にあり世(よ)に老女弁才天(らうしよへんさいてん)と唱(とな)ふ神体(しんたい)は慈覚(しかく)大師|の作(さく)といへり江戸雀(えとすゝめ)をよひ紫一本(むらさきのひともと)ならひに寛文(くわんふん)年中の江戸絵図(えとゑつ)にも当社は二王門(にわうもん)》  《割書:の左今 西宮稲荷(にしのみやいなり)明神の社地より奥(おく)にあるよしを記(しる)せり延宝(えんはう)年中の江戸絵図には今の社地(しやち)は|空地(あきち)にて観音勢至(くわんおんせいし)の銅像(とうそう)のみありて堂社(たうしや)なし紫一本(むらさきのひともと)に山門の東(ひかし)の方に大仏(たいふつ)を安置(あんち)し奉ら》  《割書:むと築(きつき)たる山ありといへるの【るヵ】は今の弁才天(へんさいてん)の社(やしろ)ある所の小山(こやま)をいへり故(ゆへ)にむかしは大仏山(たいふつやま)といひけるよし|按(あんす)るに淡島(あはしま)明神の地に銭塚弁天(せにつかへんてん)といへる小祠(こほこら)あり是も当社(たうしや)と一体(いつたい)の神(かみ)ならん歟(か)小田原記(をたはらき)をよひ》  《割書:北条(ほうてう)五代記 等(とう)の書(しよ)に大永(たいえい)二年九月のはしめ北条氏綱(ほうてううちつな)よりの使(つかひ)として冨永(とみなか)三郎左ヱ門 古河(こか)の御(こ)|所(しよ)へ参(まい)りける帰(かへ)るさ当寺(たうし)の観音へ参詣(さんけい)せしに折(をり)ふし十八日なれは常(つね)よりも殊(こと)に参詣(さんけい)の人》 【左丁】 兵藤平内兵衛(ひやうとうへいないひやうへ) 二王座禅像(にわうさせんのさう) 【図】