翻刻
【右丁】
《割書:すとあれは元禄(けんろく)の頃(ころ)まては其(その)清水(しみつ)現然(けんせん)としてありしならむ今 池(いけ)のはたより護国院(ここくゐん)へ|行道(ゆくみち)御花畑(おはなはたけ)と称(しよう)する地(ち)の谷合(たにあい)より流(なか)れいつる清水(しみつ)ありこれならむ歟(か)》又 江戸名所記(えとめいしよき)の説(せつ)
に弘法大師(こうほふたいし)東国遊化(とうこくいうけ)の砌(みきり)武蔵国(むさしのくに)にてひとつの小坂(こさか)に《割書:東叡山(とうえいさん)西(にし)の麓(ふもと)清水門(しみつもん)|の坂(さか)是(これ)なりといへり》かゝり
給ふ頃(ころ)老女(らうしよ)の水桶(みつおけ)を戴(いたゝき)て行(ゆく)あり大師(たいし)彼(か)の水(みつ)を乞(こひ)たまふ時(とき)老女(らうしよ)の云(いは)く此辺(このあたり)に
水(みつ)なく遠(とほ)く是(これ)を汲由(くむよし)まうしけれは大師(たいし)憐(あはれ)み独鈷(とつこ)を以(もつ)て加持(かち)したまひけれは
其所(そのところ)に清泉(せいせん)涌出(ゆしゆつ)す其傍(そのかたはら)に当社(たうしや)を勧請(くはんしやう)し給ひけるといふ
諏訪明神(すはみやうしん)社 同所 諏訪町(すはちやう)にあり祭神(さいしん)は信州(しんしう)の諏訪(すは)に同しく健御名方命(たてみなかたのみこと)
なり当社(たうしや)の権輿(けんよ)は至(いたつ)て久遠(きうをむ)にして来由等(らいゆとう)詳(つまひらか)ならす
榧寺(かやてら) 同所 黒船(くろふね)町にあり浄土宗(しやうとしう)にして増上寺(そうしやうし)に属(そく)す池中山正覚寺(ちちゆうさんしやうかくし)と号(かう)す
本尊(ほんそん)阿弥陀如来(あみたによらい)は恵心僧都(ゑしんそうつ)の作(さく)にして開山(かいさん)は観智国師(くはんちこくし)なり往古(そのかみ)当寺(たうし)に
名(な)ある大木(たいほく)の榧(かや)ありし故(ゆへ)に号(な)とせりといへり
石清水正八幡宮(いはしみつしやうはちまんくう) 大倉前(おほくらまへ)にあり元禄(けんろく)五年 台命(たいめい)に仍(よつ)て石清水正八幡宮(いはしみつしやうはちまんくう)を
勧請(くはんしやう)せり《割書:昔(むかし)は文殊院(もんしゆゐん)の八幡(はちまん)と称(しよう)し高野山(かうやさん)行人派(きやうにんは)の僧(そう)住職(ちゆうしよく)|ありしか故(ゆへ)あつて其地(そのち)を改(あらため)られ石清水正八幡宮(いはしみつしやうはちまんくう)を勧請(くはんしやう)せり》別当(へつたう)を大護院(たいこゐん)と号(かう)し雄(お)
徳山(とこやま)と云 開山(かいさん)幸沼法印(かうせうほふゐん)なり護摩堂(こまたう)の本尊(ほんそん)は五大明王(こたいみやうわう)にして運慶(うんけい)の作(さく)なり
【左丁】
弘法大師(こうほふたいし)東国遊化(とうこくいうけ)の
みきり武蔵(むさし)の国に
至(いた)りひとつの小坂(こさか)に
かゝり給ふ時に一老女(いちらうしよ)
の遠(とほ)く水(みつ)を運(はこ)ふあり
大師(たいし)深(ふか)く是(これ)をあはれみ
給ひたゝちに其地を加持(かち)
し給へは忽然(こつせん)として
清泉(せいせん)涌出(ゆしゆつ)せるよし
江戸名所記(えとめいしよき)に
出たり今(いま)東叡山(とうえいさん)
寒松院(かんしやうゐん)の境内(けいたい)
西(にし)の梺(ふもと)にある
ところの清水(しみつ)
を云
ならん歟(か)
【図】