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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之16 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之16 - ページ 29

ページ: 29

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【右丁】 三島明神(みしまみやうしん)社 諏訪明神(すはみやうしん)社 【図】 【枠内】みしま明神 【枠内】井 【枠内】みたらし 【枠内】諏訪明神 【左丁】 閻魔堂(えむまたう) 八幡宮(はちまんくう)より南(みなみ)の方弐三丁を隔(へた)つ称光山長延寺(しようくはうさんちやうえんし)と号(かう)す本尊(ほんそん)閻羅王(えむらわう)  は運慶(うんけい)の作(さく)にして其丈(そのたけ)壱丈六尺あり額(かく)に閻王殿(えむわうてん)とあるは延享(えんきやう)年中 来聘韓(らいへいかん)  人(しん)の筆(ふて)なり当寺(たうし)は慈覚大師(しかくたいし)草創(さう〳〵)ありて《振り仮名:■昔|むかし》【疇昔】は下野国(しもつけのくに)にありしを文永(ふんえい)年  中此地へ遷(うつ)すとそ《割書:或説(あるせつ)に昔(むかし)は《振り仮名:霞か関|かすみ せき》にありしを国初(こくしよ)の頃(ころ)馬喰町(はくろうちやう)へ|うつされ後(のち)復(また)いまの地(ち)へひかるゝといへり》毎歳(まいさい)正月七月十六日 参(さん)  詣(けい)群集(くんしふ)す  奪衣婆像(たつえはのさう)《割書:運慶(うんけい)の作(さく)にして本尊(ほんそん)|閻王(えんわう)と同木(とうほく)なりといへり》化馬地蔵尊(けはちさうそん)《割書:聖徳太子(しやうとくたいし)の作(さく)昔(むかし)は紀(き)の那智山(なちさん)にありしとそ|昔(むかし)仏法(ふつほふ)を徘傍(ひはう)【誹謗】せし女(をんな)あり是(これ)を化度(けと)せんか為(ため)に》  《割書:馬(むま)に化(け)して彼女(かのをんな)を仏道(ふつたう)に|帰入(きにふ)せしめ給ひしとなん》花山観世音(くはさんくわんせおむ)《割書:花山院(くわさんのゐん)深(ふか)く観音薩埵(くわんおんさつた)を尊信(そんしん)し給ひ真蹟(しんせき)の普門品(ふもんほん)大悲(たいひ)|の大陀羅尼等(たいたらにとう)の経巻(きやうくわん)をもつて大悲(たいひ)の像(さう)を作(つく)らせたまひ》  《割書:仏眼(ふつけん)上人をして点眼供養(てんかんくやう)せしめ法皇(ほふわう)みつから観音(くわんおむ)の霊区(れいく)三十三所《割書:観音順礼|のはしめなり》順礼(しゆんれい)あらせられけるとき負(おは)|せ給ひし尊像(そんさう)なり故(ゆゑ)あつて東叡山(とうえいさん)よりこゝに移(うつ)し奉(たてまつ)る是則(これすなはち)笈仏(おひふつ)の権輿(はしめ)なり当寺(たうし)境内(けいたい)に文永(ふんえい)十一年の》  《割書:古墳(こふん)|あり》 祗園社(きをんのやしろ) 同所 閻魔堂(えむまたう)の南(みなみ)に隣(とな)る当社(たうしや)牛頭天王(こつてんわう)は天暦(てんりやく)年中の鎮座(ちんさ)なりとそ  大倉前(おほくらまへ)の総鎮守(そうちんしゆ)にして別当(へつたう)を大円寺(たいえんし)と号(かう)す  十王堂(しふわうたう)《割書:境内(けいたい)にあり慶長(けいちやう)十八年《割書:又 寛文|ともいへり》御建立(ここんりふ)ありしとそ中尊(ちゆうそん)は地蔵菩薩(ちさうほさつ)にして左右(さいう)に冥府十王(めいふしふわう)|の像(さう)を安置(あんち)せり》 銀杏八幡宮(いちやうはちまんくう) 同所 福井町(ふくゐちやう)にあり伝(つた)へ云 当社(たうしや)は永承(えいしやう)六年 源頼義朝(みなもとのよりよしあそん)同(おなしく) 【■は「日+壽」】