翻刻
【右丁】
田(た)にありしか後(のち)八丁堀(はつちやうほり)に遷(うつ)り明暦火後(めいれきくはこ)今の地に至(いた)る《割書:旧地(きうち)横曽根(よこそね)にとゝむる所の|寺(てら)を聞光寺(もんくはうし)と号(かう)して今》
《割書:猶(なを)存(そん)|せり》開山(かいさん)性信房(しやうしんはう)俗姓(そくしやう)は大中臣(おほなかとみ)常州(しやうしう)鹿島郡(かしまこほり)の産(さん)也 幼名(えうみやう)を與(よ)四郎といふ
天性(てんせい)多力勇悍(たりきゆうかん)心(こゝろ)狼戻(らうれい)にして礼法(れいほふ)をしらす唯(たゝ)漁猟殺生(きよれふせつしやう)を事(こと)とするのみ
《割書:故(ゆへ)に悪五(あくこ)|郎(らう)といふ》十八歳の春《割書:元久(けんきう)三|年なり》紀(き)の熊野山(くまのさん)へ詣(まふ)て帰(かへ)るさ洛陽(らくやう)に至(いた)り適(たま〳〵)東山(ひかしやま)
吉水(よしみつ)にをひて法然(ほふねん)上人 他力本願(たりきほんくはん)の旨(むね)を説(とき)給ふを聞(きゝ)頓(とみ)に鬢髪(ひんはつ)を
薙(なき)て仏門(ふつもん)にいらん事を願(ねか)ふ依(よつ)て性信(しやうしん)と名(な)を授(さつ)く夫(それ)より鸞師(らんし)に随(したかつ)
て昼夜(ちうや)側(かたはら)をさらす師(し)左遷(させん)の時(とき)も陪従(はいしゆう)して凡二十五年を経(へ)たり建保(けんほ)二
年 師(し)下総(しもつふさ)に往(ゆき)て大(おほひ)に群生(くんしやう)を化(け)す同国 横曽根(よこそね)の郷(かう)に朽敗(きうはい)の古刹(こせつ)あ
り性信(しやうしん)をして住(すま)しむ其後(そのゝち)貞永(ちやうえい)元年 竟(つゐ)に師(し)の命(めい)に応(おう)し彼地(かのち)に逗(とゝま)つて
大(おほひ)に東関(とうくわん)を化度(けと)せんとし念仏門(ねんふつもん)を弘通(くつう)するに道俗(たうそく)充満(しゆうまん)して場(には)に溢(あふ)
る爰(こゝ)にをひて古刹(こせつ)再興(さいこう)の志願(しくはん)を企(くはた)て其地(そのち)を求(もとむ)かしこに沼(ぬま)あり飯沼(いひぬま)
といへり則(すなはち)是(これ)を湮埋(いむまい)して仏閣(ふつかく)を営(いとな)み報恩寺(はうおむし)と号(かう)す《割書:則(すなはち)当寺(たうし)の|権輿(けんよ)なり》その沼(ぬま)の
側(かたはら)に天満神(てんまんしん)の祠(やしろ)あり同年十一月七日 此神(このしん)老翁(らうをう)と化(け)しきたつて
【左丁】
聞法随喜(もんほうすいき)し師弟(してい)の約(やく)慇懃(いんきん)なり《割書:此時(このとき)紫(むらさき)の戸帳(とはり)一重(ひとかさね)|を袈裟(けさ)の料(れう)にたまふ》又 天福(てんふく)元年正月十日 此神(このかみ)何(なに)
某(かし)か夢(ゆめ)に告(つけ)て曰(のたまは)く是(これ)より後(のち)永(なか)く師資(しし)の礼譲(れいしやう)として御手洗(みたらし)の鯉魚(こい)を
報恩寺(はうおんし)に贈(をく)るへしと云云 依(よつて)鯉魚(こい)二 喉(こう)を捕(とり)て師(し)に贈(をく)る師(し)も又是を謝(しや)せんか為(ため)神(しん)
前(せん)に鏡餅(かゝみもち)二枚(ふたひら)を供(くう)す《割書:此 贈答(そうたふ)の例(れい)今に至(いた)つて怠慢(たいまん)なし毎歳(まいさい)正月十一日 飯沼天神(いひぬまてんしん)の御手洗(みたらし)の|鯉(こい)二喉(にこう)を報恩寺(はうおんし)に贈(をく)り性信房(しやうしんはう)の前に供(くう)すれは又 報恩(はうおん)寺よりも》
《割書:返礼(へんれい)として鏡餅(かゝみもち)を供(くう)す則(すなはち)彼地(かのち)にても天満宮(てんまんくう)の神前(しんせん)に供(くう)し|同廿五日 初連歌(はつれんか)を興行(こうけう)し後(のち)鏡餅(かゝみもち)を開(ひら)き祝(いは)ふを旧例(きうれい)とす》建長(けんちやう)二年の頃(ころ)性信(しやうしん)夢(ゆめ)見る事
あつて奥州(あうしう)山中(さんちう)に自(みつから)過去生(くはこしやう)の枯骨(ここつ)を得(え)たり《割書:其地(そのち)に寺(てら)を営(いとなみ)て法徳寺(ほふとくし)と号(かう)す中古(ちうこ)|済家(さいか)の禅宗(せんしう)に改(あらた)め光徳寺(くはうとくし)と号するを》
《割書:画上(くはしやう)に|詳(つまひらか)なり》竟(つゐに)建治(けんし)元年七月十七日 下総(しもうさ)にをひて寂(しやく)を示(しめ)す化寿(けしゆ)八十九《割書:以上 開山伝(かいさんてん)の要(えう)|を摘(つん)て記(しる)す》
寺宝(しほう) 親鸞(しんらん)上人 寿像(しゆさう)《割書:右に払子(ほつす)を持(ち)し左に珠数(しゆす)を持(もつ)嘉貞(かしやう)乙未年 性信坊(しやうしんはう)洛陽(らくやう)に至る|のとき高祖(かうそ)に謁(えつ)して東国(とうこく)漸(やうやく)宗風(しうふう)に化(くは)せし事を語(かた)るそのとき自(みつから)》
《割書:彫刻(てうこく)ありて性信(しやうしん)にあたへられし|六十三歳の影像(えいさう)なりといへり》 五色仏舎利(こしきのふつしやり) 本尊名号(ほんそんのみやうかう)《割書:十字(しうし)の名号(みやうかう)なり宗祖(しうそ)上人の|真蹟(しんせき)にして横曽根(よこそね)聞光寺(もんくわうし)の》
《割書:本尊(ほんそん)|たり》同九 字名号(しのみやうかう)《割書:同宗祖上人|の真蹟(しんせき)なり》珠数一連(しゆすいちれん)《割書:親鸞(しんらん)上人より性信坊に賜ふ|誕生椋(たんしやうむく)の実(み)の念珠(ねんしゆ)なり》性信坊(しやうしんはう)過(くは)
去生骨(こしやうのほね)《割書:夢想(むそう)に依(よつ)て奥州(あうしう)土湯(つちゆ)|山中に得(う)るところの枯骨(ここつ)也》教行信證一部六巻(けうきやうしんしやういちふろくくはん)《割書:親鸞(しんらん)上人の真蹟(しんせき)なり貞永(しやうえい)元|年上人 帰洛(きらく)のとき性信坊(しやうしんはう)に附(ふ)》
《割書:属(そく)ありしとそ今猶(いまなを)|当寺(たうし)に伝(つた)へてあり》蛇反釼(しやかへしのつるき)《割書:長六寸七分 波平(なみのひら)の作(さく)とも又は了戒(れうかい)の作ともいへり性信坊 横曽(よこそ)|根(ね)の古院(こいん)に住(ちう)する頃(ころ)其沼(そのぬま)に悪龍(あくりう)すむて漸(やゝ)もすれは害(かい)をなせり》
《割書:性信(しやうしん)是を退(しりそ)けんとするに力(ちから)なく空(むなし)く年月をうつせり然るにあるとき斗藪(とそう)の僧(そう)一人 来(きた)り山門(さんもん)の傍(かたはら)に|熟睡(しゆくすい)す時に池中(ちちう)より悪龍(あくりよう)出て彼僧(かのそう)を呑(のま)むとすしかるに懐中(くわひちう)より寸釼(すんけん)飛出(とひいて)て彼(かの)悪龍を防(ふせ)く又》