翻刻
【右丁】
《割書:山門の金剛力士(こんかうりきし)出て足をもつて悪龍を池中に踏込(ふみこむ)《割書:浅草寺の山門に安置せしか|そのかみ回禄に亡たりといへり》性信(しやうしん)此 体(てい)を見て僧(そう)を請(しやう)し具(つふさ)に件(くたん)の|趣(をもむき)を語(かた)る往(ゆき)て見(み)るに金剛力士(こんかうりきし)の足(あし)泥土(ていと)に漫(ひた)【浸】せる跡(あと)あり則性信 彼(かの)寸釼を乞(こひ)得て悪龍(あくりう)を退(しりそ)けんとす終(つい)に悪龍》
《割書:雲に乗(しよう)して常州(しやうしう)三俣(みつまた)の水中(すいちう)に入(いり)後(のち)この釼(つる[き])を証智(しようち)比丘尼(ひ[く]に)に与(あた)ふ《割書:この尼は性信の|むすめなり》尼(に)あるとき鹿島(かしま)へ詣(まうて)舟(ふね)に乗(のり)て三(みつ)|俣(また)に至るに風 烈(はけ)しく須臾(しゆゆ)にして逆浪(けきらう)起(おこ)り既(すて)に船(ふね)を覆(くつかへ)さむとす時に其 寸釼(すんけん)自(をのつから)飛(とひ)出て水中(すいちう)に入けれは風(ふう)》
《割書:浪(らう)たちまちにおさまれり下向(けかう)に又 舟(ふね)に乗(しよう)してこゝに至るに前(さき)の悪龍(あくりよう)水中より|あらはれ彼(かの)寸釼(すんけん)頭(かしら)にあり尼(に)是を得(え)て帰(かへ)る是より後(のち)字(あさな)して蛇反(しやかへし)の釼(つるき)といへりとそ》松風茶碓(まつかせのちやうす)《割書:上は石にして|下は樟(くす)なり》
茶入(ちやいり)《割書:唐桑(からくは)のすん切(きり)なり|袋(ふくろ)は二重蔓(ふたへつるの)唐織(からをり)》笈(をひ)《割書:網代(あしろ)にて製(せい)す性信坊(しやうしんはう)の作(つく)る所なりといへり其余(そのよ)団扇(うちは)■(きんちやく)【幐ヵ】四(よつ)もゝの刀(かたな)雀割(すめわり)の|薙刀(なきなた)をよひ覚如(かくによ)上人の筆(ふて)の絵伝(ゑてん)すへて三十 余品(よひん)あり》
田島山(たしまさん)誓願寺(せいくはんし) 快楽院(けらくゐん)と号(かう)す東本願寺(ひかしほんくはんし)の北にあり浄土宗(しやうとしう)江戸(えと)四ヶ寺の一(いつ)
室(しつ)にして開山(かいさん)は見蓮社東誉(けんれんしやとうよ)上人なり本尊(ほんそん)弥陀如来(みたによらい)は安阿弥(あんあみ)の作にして
世(よ)に歯吹如来(はふきによらい)と称(しよう)せり伝云(つたへいふ)往古(そのかみ)建仁(けんにん)三年十二月廿八日 元祖(くはんそ)円光大師(ゑんくわうたいし)室(しつ)に
在(いま)して集会(しうゑ)念仏(ねんふつ)の時(とき)金像(こんさう)の弥陀(みた)尊仏堂(そんふつとう)の屏障(へいしやう)に映現(えいけん)し須臾(しゆゆ)にして
没(ほつ)す大師(たいし)感嘆(かんたん)して乃(すなはち)仏工(ふつこう)安阿弥(あんあみ)に命(めい)して彼(かの)尊容(そんよう)を写(うつ)し御長(みたけ)三尺に
彫刻(てうこく)せしむ自(みつから)開眼(かいけん)ありて常(つね)に持念(しねん)し給ふ同三年十月十五日 彼(かの)尊像(そんさう)惚(こつ)
然(せん)として口を開き音(こゑ)を発(はつ)し親(した)しく大師(たいし)に十念を授(さつけ)給ふ尓来(しかつしより)面門(めんもん)遂(つい)
に啓歯(とけは)微(すこしく)露(あらは)れ息(いき)を吹(ふき)語(ことは)を発(はつ)するの状(かたち)に髣髴(さもにたり)時の人 称(しよう)して歯吹(はふき)
の尊像(そんさう)と云《割書:くわしくは語燈録(ことうろく)をよひ明遍僧都(めいへんそうつ)の添状等(そへしやうとう)に|つまひらかなれはこゝにもらしつ》大師の滅後(めつこ)勢観坊源(せいくはんはうけん)
【左丁】
智(ち)上人《割書:縁起(えんき)に小松内府重盛卿(こまつのないふしけもりけう)の子(こ)備中守平朝臣師盛(ひつちうのかみたひらのあそんもろもり)の息なりとそ又 幡随意(はんすいい)上人|行化伝(けうけてん)に源智(けんち)上人は洛陽(らくやう)知恩寺(ちおんし)第(たい)二世なりとあり》貞応(しやうおう)の
はしめ高野山(かうやさん)に常行念仏(しやうけうねんふつ)の道場(たうしやう)を創起(さうき)し蓮華三昧院(れんけさんまいいん)と号し
彼(かの)尊像(そんさう)を伝持(てんち)して本尊(ほんそん)とす竟(つい)に安永(あんえい)の末(すゑ)故(ゆへ)ありてこゝに移(うつ)したて
まつるとそ
当寺(たうし)往昔(そのかみ)相州(さうしう)小田原(をたはら)にありしを天正(てんしやう)十八年 台命(たいめい)に依(よつ)て当国(とうこく)にう
つされ文禄(ふんろく)元年 本銀町(ほんしろかねちやう)壱丁目にをひて始(はしめ)て寺地(てらち)を賜(たま)ふ又 慶長(けいちやう)のころ
神田須田(かんたすた)町へ移(うつ)され明暦(めいれき)の火後(くはこ)浅草(あさくさ)にて替地(かへち)を賜ふ元禄(けんろく)中 用誉龍(ようよりう)
岳(かく)上人 国寵(こくちよう)を蒙(かうむ)り常紫衣(しやうしえ)を賜(たまは)る尓来(しかなりしより)已降(このかた)檀林(たんりん)の中より住職(しうしよく)す則
当寺(とうし)の規摸(きほ)とせり
神田山(かんたさん)日輪寺(にちりんし) 芝崎道場(しはさきとうしやう)と号(かう)す誓願寺(せいくわんし)の北の方にあり本尊(ほんそん)阿弥陀(あみた)
如来(によらい)は安阿弥(あんあみ)の作なり当寺は時宗(ししう)にして当国(たうこく)弘法(くはふ)最初(さいしよ)の道場(とうしやう)とそ《割書:相州(そうしう)|藤沢(ふちさは)》
《割書:清浄光(しやう〳〵くはう)寺|に属(そく)せり》開山(かいさん)真教坊(しんけうはう)は一遍(いつへん)上人第二世にして往古(むかし)諸国遊化(しよこくいうけ)の頃(ころ)当国(たうこく)豊(と)
島郡(しまこほり)芝崎村(しはさきむら)に至(いた)るにかしこにひとつの叢祠(そうし)あり《割書:神田明神是なり今の神田橋(かんたはし)御門|の辺(へん)旧名(きうめい)を芝崎村(しはさきむら)といへり》其(その)