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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之16 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之16 - ページ 48

ページ: 48

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【右丁】  にして良山存久和尚(りやうさんそんきうおしやう)開山(かいさん)たり往古(そのかみ)は江戸 城(しやう)の辺(あたり)祝言村(しうけんむら)といへるにありて天(てん)  文(ふん)二十年の頃(ころ)太田道灌(おほたたうくわん)草創(さう〳〵)す天正(てんしやう)の頃 山号(さんかう)を賜(たま)ひ又此地に遷(うつ)さる 日蓮大菩薩(にちれんたいほさつ) 同所 新寺(しんてら)町より半丁はかり西南(ひつしさる)の方にあり安立山(あんりうさん)長遠寺(ちやうをんし)  に安置(あんち)す伝云(つたへいう)往古(むかし)花洛(みやこ)南禅寺(なんせんし)の普門禅師(ふもんせんし)多年(たねん)日天子(につてんし)を信敬(しんけい)し  一朝(あるあした)日輪(にちりん)の中(うち)に二菩薩(にほさつ)の尊影(そんえい)を拝(はい)す依(よつ)て自(みつから)筆(ふて)をとつて親(まのあたり)是(これ)を摸(うつ)  し奉(たてまつ)り霊告(れいこう)によつて弘長(こうちう)元年辛酉六月 遥(はるか)に関東(くはんとう)に下(くた)り豆州(つしう)伊(い)  東(とう)に至り同六日 日蓮(にちれん)上人に謁(えつ)し彼(かの)二尊(にそん)の点眼(てんげん)を乞求(こひもと)む則(すなはち)上人 開眼(かいけん)  供養(くやう)あつて花押(くはあふ)を添(そへ)らる又 禅師(せんし)深(ふかく)上人の徳沢(とくたく)を慕(した)ふ故(ゆへ)に大士  自(みつから)肖像(せうさう)を造(つく)りて禅師(せんし)のもとに贈(をく)らる《割書:当寺(たうし)日蓮(にちれん)大士|の像(さう)是なり》禅師(せんし)帰寂(きしやく)の後(のち)京(けい)  師(し)要法寺(えうほうし)にうつし又 妙栄寺(みやうえいし)に安置(あんち)せしか故(ゆへ)あつて文禄(ふんろく)三年の  頃(ころ)当寺(たうし)に遷(うつ)せり 神田山(かんたさん)幡随意院(はんすいいいん) 新知恩寺(しんちおんし)と号す浄家(しやうけ)十八 檀林(たんりん)の一室(いつしつ)にして本(ほん)  尊(そん)阿弥陀如来(あみたによらい)は安阿弥(あんあみ)の作(さく)なり 妙龍水(みやうりうすい)《割書:本堂(ほんたう)の左にあり傍(かたはら)に碑(いし)|碣(ふみ)を建(たつ)る其 文中(ふんちう)に開(かい)》 【左丁】  《割書:山(さん)幡随意(はんすいい)上人 天正(てんしやう)十年 の秋(あき)越後国(ゑちこのくに)高田(たかた)の善導寺(せんたうし)に在(いま)して一七日の間 別時念仏(へつしねんふつ)修行(しゆきやう)あ|りし頃(ころ)龍女(りうによ)ありて上人のもとに来り浄土(しやうと)の脈譜(みやくふ)を受(うけ)て畜身(ちくしん)を解脱(けたつ)し成仏(しやうふつ)せりとそ》  《割書:依(よつ)て其(その)のち法恩(ほふおむ)の為(ため)に捧(さゝく)るところの清泉(せいせん)なりといへり|妙龍(みやうりう)は則(すなはち)龍女(りうによ)の法号(ほふかう)にして上人 授与(しゆよ)ありしなり》  開山(かいさん)演蓮社智誉(えんれんしやちよ)上人《割書:始(はしめ)の号(な)は|典誉(てんよ)》幡随意白導(はんすいいはくたう)と号(かう)す相州(さうしう)藤沢郷(ふちさはのかう)善(せん)  行寺村(きやうしむら)の産(さん)俗姓(そくしやう)は川島氏(かはしまうち)なり天文(てんふん)十一年壬寅十月十五日に生(むま)る児(し)た  る時(とき)常(つね)に仏像(ふつさう)を礼(れい)し沙門(しやもん)を敬(けい)す九歳に及(をよ)ふの頃(ころ)出家(しゆつけ)せん事をのそ  むといへとも父母(ふほ)是(これ)を許(ゆるさ)す既(すて)にして十一歳 竟(つゐ)に同国 玉縄邑(たまなはむら)二伝寺(にてんし)の範誉(はんよ)  上人に投(とうし)て落髪授戒(らくはつしゆかい)し幡随意(はんすいい)と号(かう)す爾来(しかありしより)所々(しよ〳〵)を経歴(けいれき)し数回(すくはい)の年(ねん)  序(しよ)を経(へ)宗要(しうえう)の玄微(けんひ)を究(きは)む《割書:天正(てんしやう)年中 上州(しやうしう) 館林(たてはやし)の刺史(しし)藤原康政(ふちはらのやすまさ)の請(しやう)によりて彼地(かのち)に|一宇(いちう)を創立(さうりふ)し終南山(しゆうなんさん)善導寺(せんたうし)と号(かう)す十八 檀林(たんりん)の一(いつ)なり又》  《割書:下総国(しもふさのくに)関宿(せきやと)に大竜寺(たいりうし)を草創(さう〳〵)し又|越後国(ゑちこのくに)高田(たかた)にても善導寺(せんたうし)を開基(かいき)せり》慶長(けいちやう)七年壬寅《割書:歳六|十一》洛陽(らくやう)知恩院(ちおむゐん)に住職(しゆうしよく)  す此時(このとき)紫服(しふく)を賜(たま)はり鳳闕(ほうけつ)に登(のほ)り浄家(しやうけ)の秘牘(ひたく)を講(こう)す主上(しゆしやう)大(おほい)に叡感(えいかん)  あり同九年甲辰 東武(とうふ)の招(まねき)により再(ふたゝ)ひ此地(このち)に下向(けかう)し神田(かんた)の台(たい)に《割書:駿河(するか)|台(たい)也》  地(ち)を給ひ一宇(いちう)の梵刹(ほんせつ)を闕(ひらひ)【注】て神田山(かんたさん)新知恩寺(しんちおむし)と号(かう)す《割書:明暦(めいれき)の頃迄(ころまて)|池(いけ)の端(はた)にあり》同十  三年庚申《割書:歳六|十七》武州(ふしう)熊谷邑(くまかやむら)に至(いた)り蓮生法師(れんしやうほふし)の遺跡(ゆいせき)に小(すこし)き草庵(さうあん)あ 【注 「闕」の振り仮名「ひらひ」は疑問。「闢」「開」ヵ】