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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之16 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之16 - ページ 47

ページ: 47

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【右丁】 大雄山(たいいうさん)海禅寺(かいせんし) 同所 新堀(しんほり)の小川(をかは)を隔(へたて)て西(にし)の方(かた)にあり妙心寺派(めうしんしは)の禅宗(せんしう)  にして江戸(えと)四箇寺の一(いつ)なり往古(そのかみ)平親王将門(へいしんわうまさかと)総州相馬郡(そうしうさうまこふり)にあつて草創(さう〳〵)  する所(ところ)の仏刹(ふつせつ)なりされと将門(まさかと)亡(ほろふ)るの後(のち)年(とし)を歴(へ)て荒廃(くわうはい)にをよひさなから狐(こ)  兎(と)の栖(すみか)となりしを慶長(けいちやう)の頃(ころ)覚印和尚(かくゐんおせう)再興(さいこう)して寺(てら)を江府湯島(こうふゆしま)の地(ち)に  移(うつ)せり其頃(そのころ)  神祖(しんそ)和尚(おせう)の道徳(たうとく)を聞(きこ)しめし尊敬(そんきやう)あらせられしより後(のち)は寺院(しゐん)も輪奐(りんくはん)と  して宗流(しうりう)殊(こと)に盛(さかむ)なり《割書:明暦回禄(めいれきくはいろく)の後(のち)今(いま)の|地(ち)に遷(うつ)させられたり》 清水寺(せいすいし)観世音菩薩(くはんせおんほさつ) 海禅寺(かいせんし)の向(むか)ふ新堀端(しんほりはた)にあり昔(むかし)は浅草橋(あさくさはし)の内(うち)にあ  りしか明暦火後(めいれきくはこ)今(いま)の地(ち)にうつさる寺(てら)を江北山(こうほくさん)清水寺(せいすいし)と号(かう)す天長(てんちやう)年中  慈覚大師(しかくたいし)ひとつの勝地(しようち)を求(もと)め天台法流(てんたいはふりう)の一院(いちゐん)を建立(こんりふ)ありてみつから  一刀三礼(いつたうさんれい)にして千手大悲(せんしゆたいひ)の像(さう)を作(つく)り本尊(ほんそん)とす其昔(そのむかし)は仏閣(ふつかく)甍(いらか)を  ならへ巍々(きゝ)たりしに年去(としさり)年来(としきた)り星霜(せいさう)を歴(ふる)まゝに堂塔(たうたふ)大(おほひ)に破壊(はゑ)せ  しを文禄(ふんろく)年間 慶円法印(けいゑんはふゐん)といへる沙門(しやもん)霊告(れいかう)を得(え)て叡山(えいさん)正覚坊(しやうかくはう)の探題(たんたい) 【左丁】  豪盛僧正(かうしやうそうしやう)と相謀(あいはかつ)て堂宇(たうう)を修営(しゆえい)し昔(むかし)に復(ふく)せしむ 上宮太子堂(しやうくうたいしたう) 同所壱丁はかり坤(こん)の方(かた)にあり寺を用明山(ようめいさん)聖徳(しやうとく)寺と号(かう)す  浄土宗(しやうとしう)にして本尊(ほんそん)聖徳太子像(しゃうとくたいしのさう)は御自作(おんしさく)なりといふ《割書:世(よ)に孝養(かうやう)の御影(みえい)と称(しよう)|す伝云(つたへいふ)往古(いにしへ)御父(おんちゝ)用明(やうめい)》  《割書:天皇(てんわう)御悩(このう)の時 太子(たいし)神明仏陀(しんめいふつた)に祈誓(きせい)したまひ至孝(しかう)の誠(まこと)を擢(ぬきんて)給ふにより御悩(こなう)直(たゝち)に|平愈(へいゆ)ましますよつて許賽(かへりならし)の為(ため)に自ら作(つく)らせ給ふ御(おん)年十六歳の御影像(おんえいさう)なりとそ》往古(むかし)聖実(しやうしつ)  上人 念仏弘通(ねんふつくつう)の為(ため)此 霊像(れいさう)を守(まも)り奉(たてまつ)りて関東(くはんとう)に下り坪根沢(つほねさは)に一宇(いちう)の  精舎(せいしや)を建立(こんりう)す《割書:又は局沢(つほねさは)に作(つく)る御城内(こしやうない)|吹上(ふきあけ)と称(しよう)するは其 旧地(きうち)也》其後(そののち)亨徳(かうとく)【注】二年 忠蓮社(ちうれんしや)加誉(かよ)上人 良(りやう)  祐和尚(いうおしやう)中興(ちうこう)し台宗(たいしう)を改(あらた)めて浄家(しやうけ)とす慶長(けいちやう)の頃(ころ)馬喰町(はくらうちやう)馬場(はゝ)の辺(へん)に  移(うつ)され明暦(めいれき)の後(のち)今の地に引れたり当寺(たうし)門の内に地蔵尊(ちさうそん)の石像(せきさう)あ  り《割書:相州一沢(さうしういちのさは)木喰弾誓(もくしきたんせい)上人の作(さく)にして当山(たうさん)十七世の住侶(しうりよ)霊告(れいこう)によつて土中(とちう)を穿(うかち)此(この)地蔵尊(ちさうそん)|の御首(みくし)を得(え)たり仍(よつ)て石工(せきこう)に命(めい)して全体(せんたい)を補造(ほそう)せしめ其 背面(はいめん)に件(くたり)の旨趣(ししゆ)を鐫(せん)す》 除厄太子堂(やくよけたいしたう) 同所北の方 浄土宗(しやうとしう)天然山(てんねんさん)慈眼院(しけんいん)に安す聖徳太子(しやうとくたいし)四十  二歳の御時(おんとき)除厄(しよやく)の為(ため)自(みつから)彫刻(てうこく)し給ひし霊像(れいさう)なりといへり《割書:当寺(たうし)昔(むかし)は神田(かんた)|橋本町(はしもとちやう)の辺(へん)にあ》  《割書:り明暦回禄(めいれきくはいろく)の時 本尊(ほんそん)を失ふ依(よつて)住僧(しゆうそう)徳誉(とくよ)上人 深(ふか)く是を悲(かなし)み竟(つい)に霊告(れいこう)を|得(え)て忍(しの)はすの池の中島(なかしま)にして此(この)本尊を感得(かんとく)し再(ふたゝ)ひこゝに安置せしむるといへり》 萬年山(まんねんさん)祝言寺(しうけんし) 同所南の方 通(とほり)を隔(へたて)て西南の方にあり曹洞派(さうとうは)の禅宗(せんしう) 【注 「かうとく」は「けうとく」ヵ】