翻刻
【右頁】
--梗槪--
世は泰平を唄ひ人々は享樂に酔ふ-時は
元祿の春京洛の櫻を散らして突如泰平の
夢を破つた糺の森の奉納試合は若侍達の血を
躍らしたのである柴田十郎左衛門の門下の熱
血兒冬木佑之助は今日の豪敵安藤平九郎をも
のゝ見事に打破つて恩師と戀人澄江の前に面
目をほどこした、それに引きかへて親友であ
る槇田傳二郎は自分の惨な敗北を思ふ時勝
利を祝す今宵の酒宴も彼には不愉快なも
のであつた。
同じ席に來てゐた藝妓の清香は久
しい前から佑之助の雄々しき姿に
戀心を覺へてゐた。
”いや拙者もう呑めぬ”
”私の眞心只一ぱいで御座いまする今夜は
誰が何と云つたつて歸しやしませんよ”
【左頁】
行手の橋上に戀を語ふ男女を見た近よつて清
香は驚いた。
”あゝ冬木様!大變で御座います槇田様
が危い”
そこへ平九郎に追はれた傳次郎の姿を
見てものも言はずに平九郎目が
けて斬つてかゝつた。
強敵を見て平九郎は逃れさつた。傳次郎
は初めてその塲に澄江の姿を見て惨めな今
の有様に消へ入りたい心だつた。
◇
誰れにも語ることの出來ない彼の腦みそれは澄
江に對する苦しい戀であつた。
その日はそのまゝ別れたが傳次郎が澄江に對
する苦しい戀--
冬木との仲を思ふ時--半ば理智を失つた
傳次郎は清香に依つて佑之助を陷入れや
うとした。