翻刻
”槇田ぢやないか此頃はどうしたのぢ
や元氣がないぞ”
そう言はれると何時もに變らぬ親友の心が
うれしかつた。
それに引きかへ自分の心は……何も言ふまい
俺さへあきらめればそれでよいのだ……と考
へた時又次の瞬間……俺は彼女を愛してゐる
のだ誰に渡すものか親友がなんだ……傳次郎
の心の何處かで叫んだ。
”冬木!刀にかけて頼みがある”
”刀にかけての願ひ今更何んだ”
”實は澄江殿を”
”えつ澄江殿それは出來ない”
”出來なければ!よい明晩六つの鐘
を合圖に糺の森でお互の勝負を爭さう”
”よし心得た!間違はあるまいな!”
二人は明日を約して立別れた。
【左頁】
”おゝ冬木か”
”槇田我々の勝負は明日だ今日は味方
だぞ”
白刄は入り亂れた。劔戟!亂鬪!
”ヱイ”平九郎は佑之助の一刀
に倒れた。
◇
十郎左衛門と澄江の前に清香は涙乍らに
物語つた。
”こんな譯で決して妾が冬木様に送つた文
では御座いません。
冬木様の美しい心根を思ふと妾の罪が恐ろ
しくなりましたその上お孃さまのことから
お二人は暮れ六つの鐘を合圖に糺の森で眞
劔勝負を”
十郎左衛門は急ぎ糺の森へ駈けつけ
る。