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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之15 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之15 - ページ 30

ページ: 30

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【右丁】  を泉津事解男(よもつことさかのお)と申(まう)す延喜(えんき)の帝(みかと)の御時(おんとき)諸國(しよこく)の神社(しんしや)を記(しる)され  しに紀伊國(きいのくに)牟樓郡(むろのこほり)熊野(くまの)早玉(はやたまの)神社(しんしや)とあるは是(これ)なり此故(このゆへ)に伊弉(いさ)  冊尊(なみのみこと)早玉事解男(はやたまのおことさかのお)是(これ)を熊野(くまの)三所(さんしよの)権現(こんけん)といひならはせる事(こと)  になりぬ云云   《割書:按(あんする)に當社(たうしや)縁起(えんき)に元亨(けんかう)年中 豊島氏(としまうち)新(あらたに)祠宇(しう)を建(たて)て崇(あかめ)けるよし記(しる)せり當社 別(へつ)|當(たう)金輪寺(きんりんし)に収(おさむ)る所の大般若經(たいはんにやきやう)の奥(おく)に文保(ふんほ)二年とあれは勧請(くはんしやう)は文保(ふんほ)より以前(まへ)にして》  《割書:元亨(けんかう)に初(はしめ)て社(やしろ)を営(いとなみ)しならん小田原(をたはら)北条家(ほうてうけ)分限帳(ふんけんちやう)に王子領(わうしりやう)江戸(えと)上平川(かみひらかは)下平川(しもひらかは)牛(うし)込|の内にて以上廿八貫八百六十文の地(ち)を附(ふ)すとあり》  當社(たうしや)縁起(えんき)三巻《割書:文章(ふんしやう)は民部卿(みんふきやう)法印(ほふゐん)道春(たうしゆん)畫(ゑ)は狩野(かの)尚信(なをのふ)筆者(ひつしや)は|鈴木氏(すゝきうち)とそ》   跋曰武刕豊島郡若一王子社者所勧請熊野權現   也頃年  征夷大將軍左大臣従一位源大君治世理国之暇敬   神務民之餘造替當社然以其未有緑【ママ】起故忽降   釣命令愚拙撰其詞於是能書揮行草之勢畫工畫   丹青之美其功己成装爲三軸以納社内誠是神宝   之最也須遺芳於万世而耀神威鎭邦家者也奉   命者復使愚拙記其事於軸未於是乎書   寛永十八年七月十七日 民部卿法印 道春敬書  熊野(くまの)三神(さんしん)傳記(てんき)壹巻《割書:金輪寺(きんりんし)に傳(つた)ふ元文三年 成島氏(なるしまうち)信遍 台命(たいめい)を奉(ほう)して是(これ)を識(いる)|さる飛鳥山(あすかやま)碑文(ひふん)の中に所謂(いはゆる)別録(へつろく)を藏(さう)すとあるは此 傳記(てんき)の事なり》 【左丁】   熊埜三神傳記曰   熊埜之神蓋三祀皆屬牟婁郡隷紀府治一日本宮   祀伊弉冊尊及速玉雄命事解男命也二日新宮距   本宮六十有里三日那智距本宮五十里傳曰崇神   帝六十五年始建本宮景行帝五十八年又建新宮   唯那智不詳起何豈也神史所載伊弉諾尊伊弉冊   尊所過而化乃生國𡈽草木終生軻遇突是爲火神   冊尊既因生火之神所灼而去矣乃葬紀之阿哩馬   邑邑有華窟即葬神之地以故𡈽俗祀之以花結縄   為旛鼓樂舞踏今尚然也蓋古之遺也有産田祀又   祀二神之地其跡業已在本宮先云又曰開闢之始   冥冥中有物象帝之先號國常立尊神之代七焉傳   至二神始生日神是稱天照大神又曰弱宮或號弱   一王子共配熊埜祀至新宮那智亦類依其例凡我   語神之道形於人物於悳其速玉事解二王子者特   分禰二神之悳是已是其大略也若夫飛鳥三狐徐   福八咫烏自外諸祀則自上世所副各有其傳存焉   鳳郷聞之紀人熊埜之山負海而𣇄峙天工之所造   神而秀不可體矣厥石磊砢而■厥水澄徹而甘厥   草木區萌而達厥土壌亦植而肥神之止焉固其所   乎聖者之出寧知不在斯乎豈啻興雲飴降福釐不   測之謂神其不然邪蓋二神之跡在彼盤古之紀邪   其必在結縄先而神德不可揜如斯夫神統千世確   乎不遷嗟乎神之國其疇不欽哉鳳郷曰代撰飛鳥   山碑遂閲𦾔史謹叙三神事如此   元文丁巳之冬東都中秘書少監源鳳郷子陽謹識