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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之15 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之15 - ページ 35

ページ: 35

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【右丁】   《割書:一人(ひとり)の老(おい)命婦(みやうふ)あり深(ふか)く稲荷(いなり)を信(しん)し毎日(まいにち)詣(まう)てけるに命婦(みやうふ)か飼(かい)ける野狐(のきつね)あり必(かなら)す参詣(さんけい)| の時(とき)は先(さき)へ社壇(しやたん)に来(きた)り待(まち)し故(ゆへ) に社人(しやにん)も狐(きつね)の来(きた)るを見て命婦(みやうふ)のやかて詣(まうつ)るを知(し)り命婦(みやうふ)》    《割書:も年老(としおひ)世(よ)を退(さりて)後(のち)は狐(きつね)を養(やしな)ふ者(もの)もなく終(つい)に伊奈利山(いなりやま)へ至(いた)り住(すみ)けり社参(しやさん)の人(ひと)命婦狐(みやうふきつね)と|名(な)つけ呼(よひ)出して果物(くたもの)なとあたへけるか年経(としへ)て死(し)しけるを人(ひと)憐(あはれ)みて本社(ほんしや)のかたはらに埋(うつめ)》    《割書:社(やしろ)を建(たて)て祀(まつ)りしよし記(しる)せり是(これ)狐(きつね)を伊奈利(いなり)の使者(ししや)とせしところ|なるへし》  當社(たうしや)は遥(はるか)に都下(とか)をはなるゝといへとも常(つね)に詣人(けいしん)絶(たえ)す月毎(つきこと)の午(むま)の日には  殊更(ことさら)詣人(けいしん)群参(くんさん)す二月(きさらき)の初午(はつむま)には其(その)賑(にきは)ひ言(いふ)もさらなり飛鳥山(あすかやま)  のあたりより旗亭(さかや)貨食舗(りようりや)或(あるひ)は丘(をか)に対(たい)し或(あるひ)は水に臨(のそ)むて 軒端(のきは)を  つらねたり実(しつ)に此地(このち)の繁花(はんくは)は都下(とか)にゆつらす 禅夷山(せんいさん)金輪寺(きんりんし) 王子(わうし)権現(こんけん)同 稲荷(いなり)両社(りやうしや)の別当寺(へつたうし)なり康平(かうへい)年中  源(みなもとの)義家(よしいへ)東征(とうせい)凱陣(かいちん)の頃(ころ)新(あらた)に当寺(たうし)を営(いとなみ)しとそ其頃(そのころ)奉納(ほうなふ)の鎧(よろひ)  兜(かふと)等(とう)今猶(いまなを)伝(つた)へてこゝにあり《割書:治承(ちしやう)四年 頼朝(よりとも)稲荷(いなり)の宮(みや)へ奉納(ほうなふ)ありしといひ伝(つた)|へて義家(よしいへ)の腹巻(はらまき)をよひ薙刀(なきなた)等(とう)は元亨(けんけう)以後(いこ)権現(こんけん)》  《割書:の宝庫(はうこ)に併(あは)せ納(おさむ)るよしにて|今当寺にあり》当寺(たうし)昔(むかし)は新義(しんき)の真言宗(しんこんしう)なりしか 台命(たいめい)に  よりて天正(てんしやう)年中 小田原(をたはら)早川(はやかは)真福寺(しんふくし)の宥養(ゆうよう)上人を権現(こんけん)の  別当(へつたう)に補(ほ)せられ此時(このとき)より古義(こき)に改(あらため)られ関東(くはんとう)一派(いつは)の棟梁(とうりやう)たら 【左丁】  しむ《割書:関東(くはんとう)古義(こき)の五ケ寺は所謂豆州(つしう)走湯山(そうたうさん)般若院(はんにやゐん)相州(さうしう)箱根(はこね)金剛院(こんかうゐん)同国大山(おほやま)|八大坊(はちたいはう)鎌倉(かまくら)鶴岡(つるかをか)坊中(はうちう)荘厳院(しやうこんゐん)ならひに当寺(たうし)等(とう)なり》  五香湯(こかうたう)《割書:王子(わうし)権現(こんけん)縁起(えんきに)曰(いはく)ある時 託宣(たくせん)して五香(こかう)の薬(くすり)を授(さつけ)られしより其(その)薬(くすり)を服(ふく)|するもの諸病(しよひやう)悉(こと〳〵)く除(のそ)く神(かみ)の恩徳(をんとく)甚(はなはた)厚(あつ)しもろこし真人(しんしん)か龍宮(りうくう)の秘法(ひほふ)》  《割書:を伝(つた)へしもいかとか是に増(まさ)るへき薬師(やくし)如来(によらい)のおなしくまします宮(みや)なれは瑠璃(るり)の|壷(つほ)の露(つゆ)の潤(めくみ)の人を助(たすく)るしるしにて仏(ほとけ)を医王(いわう)と号(かう)する事(こと)は一切(いつさい)衆生(しゆしやう)の病(やまひ)をいやす》  《割書:故(ゆへ)なりとあるもけにもとおほえ侍ると云云此くすりは別当(へつたう)金輪寺(きんりんし)より出(いた)す一切(いつさい)の|病(やまひ)によく殊(こと)に小児(せうに)に用(もちゆ)るに験(しるし)あり》  音無河(をとなしかは) 王子(わうし)権現(こんけん)の麓(ふもと)を流(なか)る《割書:故(ゆへ)に紀伊国(きいのくに)音無河(をとなしかは)を|模(うつ)してかくは名つくるとそ》本名(ほんみやう)を石神井川(しやくしかは)といふ  《割書:武州(ふしう)石神井村(しやくしむら)三宝寺(さんはうし)の池(いけ)|より発(はつ)するところなり》下流(かりう)は荒川(あらかは)にいる《割書:世俗(せそく)滝野河(たきのかは)と云(いふ)は誤(あやまり)なり滝野河村(たきのかはむら)と|号(かう)して河(かは)の号(な)にはあらす》 松橋(まつはし)弁財天(へんさいてん)社 王子(わうし)権現(こんけん)の西の方(かた)三四丁はかりにあり本草(ほんそん)は弘法(こうほう)大(たい)  師(し)の作(さく)にして即(すなはち)大師(たいし)の勧請(くはんしやう)なり此地(このち)は石神井河(しやくしかは)の流(なかれ)に臨(のそ)み自然(しせん)  の山水(さんすい)あり両岸(りやうかん)高(たか)く桜楓(あうふう)の二樹(にしゆ)枝(えた)を交(まし)へ春(はる)秋(あき)ともになかめあるの  一勝地(いつしようち)なり源平(けんへい)盛衰記(せいすいき)に治承(ちしやう)四年十月 頼朝卿(よりともきやう)隅田河(すみたかは)をうち  渡(わた)り武蔵国(むさしのくに)豊島(としま)の上滝野河(かみたきのかは)松橋(まつはし)といふ処(ところ)に陣(ちん)をとるとあるは  此地(このち)の事(こと)なり《割書:頼朝(よりとも)奉納(ほうなう)の太刀(たち)一振(ひとふり)|当社 宝物(ほうもつ)たり》 滝河山(りうかさん)金剛寺(こんかうし) 松橋院(しやうけうゐん)と号(かう)す《割書:松橋(まつはし)弁天(へんてん)|境内(けいたい)に安(あんす)》弘法(こふほふ)大師(たいし)の開基(かいき)にして本尊(ほんそん)