東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之15 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之15 - ページ 34

ページ: 34

翻刻

【見開き 絵図】 【右丁】  十八講(しふはちこう) 毎歳(としこと)正月十七日 王子村(わうしむら)農家(なふか)に 是(これ)を行(をこな)ふ当日(たうしつ) 権現(こんけん)の別当(へつたう)金輪(きんりん) 寺(し)の住持(ちうち)を 詔講(てうしやう)し酒飯(しゆはん)の 饗応(きやうおう)半(なかは)にして 当番(たうはん)の百姓(ひやくしやう)杵(きね) 飯鍬(しやくし)魚盤(まないた)の 三品(みしな)を携(たつさ)へ出(いて)て のめそよいやさの 懸声(かけこゑ)をなして 食(しよく)をすゝむ 是(これ)此地(このち)の旧(きう) 例(れい)にして 十八講(しふはちこう)とは昔(むかし) 神領(しんりやう)十八箇(しふはちか) 村(むら)ありし頃(ころ)の 旧称(きうしようと)   きこゆ 【左丁 文字無し】

現代語訳

十八講(じゅうはちこう) 毎年正月十七日に、王子村の農家でこれを行う。当日は権現の別当である金輪寺の住職を招請し、酒食でもてなしている最中に、当番の百姓が杵と飯杓子と魚板の三品を携えて出てきて、「のめそよいやさ」の掛け声をかけながら食事を勧める。これはこの土地の古い慣例である。 十八講とは、昔、神領十八か村があった頃の古い名称だと聞いている。