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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之15 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之15 - ページ 39

ページ: 39

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【右丁】  しらす常(つね)にこゝに在(あつ)て詩歌(しか)をたしむ仍(よつて)城北(しやうほく)に菅神(くわんしん)を勧請(くわんしやう)し祠(やしろ)  を建(たつ)る《割書:今(いま)の御城(こしやう)西平川(さいひらかは)|天神(てんしん)是(これ)なり》此時(このとき)両上杉(りやううへすき)《割書:扇谷(あふきかやつ)上杉(うへすき)修理(しゆりの)太夫(たいふ)定正(さたまさ)|山内(やまのうち)上杉(うへすき)兵部(しやうふの)少輔(せういふ)房顕(ふさあき)》権(けん)をあらそひ  互(たかひ)にこはみ終(つゐ)に間計(かんけい)を以(もつ)て定正(さたまさ)に道潅(たうくはん)をうたかはしむるによつて  定正(さたまさ)人をして灌(くはん)を浴室(よくしつ)に刺殺(さしころ)さしむ時(とき)に文明(ふんめい)十八年丙午七月廿  六年五十五歳《割書:相州(さうしう)糟屋(かすや)洞冒(とうしやう)|寺(し)に葬(はふむ)る》死(し)にのそむて云く余(よ)を害(かい)するは定正(さたまさ)亡家(ほうか)  の兆(てう)なりとはたして定正(さたまさ)威(い)衰(おとろ)へ再(ふたゝ)ひ振(ふる)はす潅(くはん)是(これ)より先(さき)寛正(くはんしやう)年中  上洛(しやうらく)す 勅(ちよく)してむさし野の勝景(しやうけい)を問(とは)しむ和哥(わか)を以(もつ)て答(こた)へ奉(たてまつ)る   露(つゆ)置(をか)ぬ方(かた)もありけり夕立(ゆふたち)の空(そら)よりひろきむさし野の原  又 平生(へいせい)の眺望(なかめ)をとはしむ   我(わか)庵(いほ)は松原(まつはら)つゝき海(うみ)近(ちか)く冨士(ふし)の高根(たかね)を軒端(のきは)にそみる  此時(このとき)叡感(えいかん)のあまり 御製(きよせい)をたまふ   むさし野は高萱(たかかや)のみと思ひしにかゝる言葉の花や咲らむ  又ある時 勅(ちよく)して角田河(すみたかは)の都鳥(みやことり)をとはしめたまふに 【左丁】   年ふれと我(われ)またしらぬ都鳥(みやことり)角田(すみた)河原(かはら)に宿(やと)はあれとも  《割書:其余(そのよ)の和哥(わか)は家(いへ)の集(しふ)に出(いつ)るを以(もつ)てこゝに略(りやく)す|》 赤羽山(あかはねやま)八幡宮(はちまんくう)社 あかはねむらにあり社伝(しやてんに)云(いはく)当社(たうしや)鎮座(ちんさ)の年歴(ねんれき)は  久遠(きうをん)にして詳(つまひらか)ならすとそ中古(なかころ)大(おほひ)に荒廃(くはうはい)にをよひしを文明(ふんめい)の頃(ころ)  太田(おほた)道潅(たうくはん)再興(さいこう)ありしより祭礼(さいれい)怠(をこた)る事(こと)なし神宝(しんはう)に獅子(しし)の頭(かしら)  一个(いつか)古(ふる)き面(めん)二枚(にまい)あり 川口渡(かはくちのわたし)《割書:往古(むかし)はこかはくち|といへり》義経記(きけいき)に九郎(くらう)御曹司(おんさうし)奥州(あうしう)より鎌倉(かまくら)に至(いたり)給ふと  いへる条下(てうか)に室(むろ)の八島(やしま)を与所(よそ)に見(み)て武蔵国(むさしのくに)足立郡(あたちこほり)こかはくちに着(つき)たまふ  御曹司(おんさうし)の御勢(おんせい)八十五 騎(き)にそなりにける板橋(いたはし)にはせ附(つき)て兵衛佐殿(ひやうゑのすけとの)  はと問(とひ)たまへはおとゝひこゝを立(たゝ)せ給ひて候(さふらう)と申(まうす)武蔵(むさし)の国府(こふ)の六所町(ろくしよまち)に  つきて佐殿(すけとの)はと仰(おほせ)けれはおとゝひ通(とほ)らせたまひて候(さふらう)相模(さかみ)の平塚(ひらつか)にと  こそ申(まうし)けると云云   《割書:按(あんする)に渡場(わたしは)より壱丁程 南(みなみ)の方の左(ひたり)に府中道(ふちうみち)と記(しる)せる道標(みちしるへ)あり是 往古(むかし)の奥州(あうしう)海道(かいたう)なり|是(これ)より板橋(いたはし)にかゝり府中(ふちう)の六所町(ろくしよまち)より玉川(たまかは)を渡(わた)りて相模(さかみ)の平塚(ひらつか)へは出(いて)しなり》