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【右丁 絵図】
根津(ねつつ)権現(こんけんの)𦾔(きう)地(ち)
千駄木坂(せんたきさか)のうへ纔(わつか)
はかりの地(ち)をさして
いへり此 近辺(きんへん)藝花園(うへきや)
多く庭中(ていちゆう)四時(しはし)草木(さうほく)
の花 絶(たえ)す
根津権現旧地
駒込いなり 薬や
千駄木坂
菓や
植木屋
【左丁】
観音(くはんおん)を安(あん)す貞享(ちやうきやう)年中 江府(えと)の商人(あきひと)丸吉兵衛(まるきちひやうへ)なるもの是を建立(こんりふ)す
大覚山(たいかくさん)淨心寺(しやうしんし) 丸山片町(まるやまかたまち)にあり日蓮宗(にちれんしう)にして太田(おほた)資高(すけたか)の妻(つま)《割書:法名(はふみやう)|を浄(しやう)》
《割書:心院(しんゐん)日海(につかい)禅尼(せんに)|と号(かう)せり》草創(さう〳〵)す北条(ほうてう)五代記(こたいき)に永禄(えいろく)七年北条 氏康(うちやす)と里見(さとみ)義弘(よしひろ)と
國府䑓(こくふのたい)にて合戦(かつせん)の時 資高(すけたか)をのれの妻(つま)の親(おや)なりし太田(おほた)下野守(しもつけのかみ)
《割書:小田原方(をたはらかた)|の先手(さきて)なり》と渡(わた)り合(あひ)終(つゐ)に資高(すけたか)《割書:里見方(さとみかた)|に一味(いちみ)す》棒(ほう)を以て舅(しうと)下野守(しもつけのかみ)を打殺(うちころ)せり軍(いくさ)
散(さん)して後(のち)妻(つま)此事(このこと)を聞(きく)大(おほひ)に歎(なけ)き葬禮(さうれい)ねんころにいとなみ後(のち)髻(もとゝり)をきり
父(ちゝ)の菩提(ほたい)の為(ため)に武刕(ふしう)神田(かんた)に浄心寺(しやうしんし)を建立(こんりふ)すと云云《割書:初(はしめ)建立(こんりふ)の地(ち)は|御陣 内 平川(ひらかは)也》當寺(たうし)始(はしめ)は
神(かん)田(た)にありしを小石川(こいしかは)にうつされ後(のち)復(また)今(いま)の地(ち)にうつさる
《割書:按(あんす)るに寺傳(してん)に太田(おほた)資高(すけたか)の室(しつ)は北条(ほうてう)氏綱(うちつな)の女(むすめ)にして康資(やすすけ)の母(はゝ)なり依(よつて)康資(やすすけ)母儀(ほき)の|ため天文(てんふん)十九年 當寺(たうし)を江戸(えと)平川(ひらかは)に草創(さう〳〵)すといへり鐘(かね)の銘(めい)にも天文十九年とあれは》
《割書:寺説(しせつ)を以て是(せ)とすへき欤(か)追(をつ)て考訂(かうてい)すへし當寺(たうし)の鑄鐘(かね)今は亡ひたり銘(めい)は深草(ふかくさの)元政(けんせい)|なり草山集(さうさんしふ)に出る故(ゆへ)にこゝに挙(あ)く》
浄心寺鐘銘並序
古者論艸草守文二者之難矣哉武江浄心寺山号
大覺開基祖曰日成乃以天文十九年創之而九世
祖曰日真方此之時江府大火因移地於小石川大