翻刻
軽勢弐百七拾人着御城へ火かゝり候はゝ海手
ゟ退去之筈ニて籠居候由
右の様子は山田法性寺と申寺之弟子大両
と申者右法性寺相婿御城下之浄源寺
と申寺へ用事有之山田ゟ日帰りニ未明より
打立候処御城下近所杉谷村|往(オウ)還早焼
居申候六ツ木村かやは村千本木村皆々焼失
西方寺本光寺青雲寺皆々焼失漸逃
通浄源寺へ参り候得は人壱人もなく彼是
いたし候中前嶽崩浄源寺之庫理は崩申候由
夫ゟ飛出し山田宿と申舩向屋ニ参り
天草舩ニ乗り四月朔日九ツ時出帆いたし
夜六ツ半頃肥後国日奈久江着仕候処
無程津浪ニて騒申候得共日奈久は家
四五軒崩申候死人は無之候右の僧一
夜止宿いたし昨日三池光円寺へ被
参候御城内下は焼失と相聞申候由
子四月
一同子四月三日ゟ同九日迄七昼夜之間熊本