翻刻
長明之方丈記に云元暦二年の頃大なゐふる事侍
りき其さまよの常ならず山くづれて川をうづみ海
かたふきて陸をひたせり土さけて水桶上りいはほ
われて谷にまりひ入諸こく舟は波にたゝよひ道
ゆく駒は足の立とをまどはけり況や都のほとりには
在々所々堂舎塔廟一として不全中略かくおひたゝ
しくふることはしばしにて止にしかは名残しばらく
は絶ず尋常におとろくほとの地震二三十度ふらぬ
日はなし十日廿日過にしかばやう〳〵間遠になりて
或は四五度二三度もしくは一日まぜ二三日に一度など
大かた其名残三月ばかりや侍けん云々
天-文-考-要に云寛文壬-寅五月畿-内ノ地大 ̄ニ震 ̄フ北江最
甚 ̄シ余-動《ルビ:屡|シハ〳〵》-発 ̄シ至 ̄ル_二於歳 ̄ヲ終 ̄ルニ_一
本-朝-天-文-志に云宝暦元年辛未二月廿九日大地震 ̄ス
諸堂舎破-《ルビ:壊|ヱ》【左ルビ:クタケ】余-動至 ̄テ_二六七月 ̄ニ_一止 ̄マル
かく数々ある中にも皆はじめ大震して後小動は止マ